嘉泉(かせん)、田むら|田村酒造場

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 331蔵目

嘉泉(かせん)、田むら|田村酒造場

東京都福生市福生626


蔵元のサイト:http://www.seishu-kasen.com/kura/index.html

酒名:嘉泉(かせん)、田むら 
■創業:文政5年(1822年)16代 ■杜氏:南部杜氏 ■仕込み水:中軟水 ■訪問日:2013/09/09

代表銘柄

特別本醸造 嘉泉
田むら 純米吟醸 吟ぎんが
田むら 純米吟醸 山酒4号


東京の酒蔵というと皆様はどのようなイメージを持たれているでしょうか?
東京で酒が造れるの?東京に酒蔵があったの?と思われている方も多く、想像がつかないと思いますが、今回訪問した西東京の酒蔵、石川酒造株式会社、田村酒造場、小澤酒造はとても美しい蔵です。
中でも、京都の伏見の酒蔵を思わせるような見事な蔵が、嘉泉(かせん)という名の酒を造る田村酒造場です。

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田村酒造場は文政5年、福生村の名主であった田村家9代目、勘次郎氏が創業した190年を超える歴史を持つ蔵元です。
田村家は家全体で16代続き、当主は「半十郎」という世襲名を名乗ります。

勘次郎氏は酒造業をおこすため良い水を求めて色んな場所に井戸を掘ったそうですが、大ケヤキの傍らに井戸を掘ったところ良い水脈に当たったそうです。
良い水を探し当てたことで酒造業を開始し、良き泉であるという事から酒名の「嘉泉(かせん)」が誕生します。屋号は鍵十(かぎじゅう)と名乗っていたそうです。

この地域では小学校の社会の授業で「玉川上水」という、江戸の町に水を供給するため作られた全長約43キロに渡って作られた水路について教わるそうです。その玉川上水から数多くの分水があり、それぞれの地域の田畑に水を供給していたいました。

その分水の1つ、田村分水は慶応3年に田村家が取水件を得て作った分水。
多くの分水がある中、個人の分水というのは田村分水と砂川分水の2つしか存在しなかったそうで、田村家が名主としての力があったことが伺えます。

写真は玉川上水。左手前にある円筒形の構造物がある位置に、田村分水の入り口があります。 嘉泉(かせん) 田村酒造場|玉川分水

写真はかつての精米小屋。
玉川上水から引きこまれ水は、水車を動かしてこの精米小屋の中で米を磨いていたそうです。
嘉泉(かせん) 田村酒造場|昔の精米小屋

写真は精米に使っていたと言えれる石臼。
嘉泉(かせん) 田村酒造場|石臼

蔵の中庭を流れる分水。
嘉泉(かせん) 田村酒造場|庭
緑の芝生、手入れされた木々。 蔵の広大な敷地の中にはご覧のようなお庭が有り、その中を川が流れます。

酒蔵の多くは、財を成した商人や庄屋をルーツとしますが、江戸期から150年過ぎた今、名家の面影を残す蔵は現在では少なくなりました。
私は様々な蔵を見て回りましたが、このような名家が保たれている立派な蔵はなかなか目にしません。しかも東京都の蔵です。
私は今回の酒蔵訪問で東京都の酒蔵のイメージは変わりました。

写真が現在でも酒造りに用いる水を得ている井戸。
嘉泉(かせん) 田村酒造場|井戸
井戸の周囲は多くの木が茂ります。

井戸の傍らには大ケヤキが立ちます。

嘉泉(かせん) 田村酒造場|ケヤキの木

嘉泉(かせん) 田村酒造場|日本酒
手前の黒のラベルは嘉泉 特別本醸造 幻の酒。
奥に見える酒は嘉泉 特別純米酒 幻の酒。

この酒は級別制度が残っていた時代に売れていた酒で、いわゆる無監査の酒。
当時は65%も精米していた米を使い、監査に通せば特急に認定されるクラスの酒ですが、酒税が高くなるので価格を抑えるために監査せずに2級酒として市販。

監査を通さないことで特急酒クラスの酒を安い価格で買えたことから、当時はとても良く売れたそうです。
しかし級別制度が廃止となり無監査である事のメリットがなくなります。
そして現在では精米歩合を60%まで上げ特別本醸造として出荷。
現在でも全体の3割を占める蔵の主力商品の一角との事。

嘉泉(かせん) 田村酒造場|田むら
創業銘柄である嘉泉に対し、平成17年に誕生した新銘柄が「田むら」。

使用する米は、岩手県産の吟ぎんがと山形県産の山酒4号。それらを55%まで精米した純米吟醸。

酵母を3〜4種類使い、それぞれを小仕込みで仕込み、最後に1つにブレンドをするために、独特な複雑な味わいを持つのが特徴。

蔵元直取引による限定流通商品で、地元が中心ながらも北海道から九州まで全国に特約店があるとの事。

六角形の煙突が美しいこの蔵の中で酒が醸されます。

嘉泉(かせん) 田村酒造場|外観

写真は釜場。近代的かつ昔ながらの釜場です。 嘉泉(かせん) 田村酒造場|釜場

嘉泉(かせん) 田村酒造場|麹室

嘉泉(かせん) 田村酒造場|酒母

嘉泉(かせん) 田村酒造場|仕込み部屋

嘉泉(かせん) 田村酒造場|吟醸仕込部屋

嘉泉(かせん) 田村酒造場|槽場

写真は貯蔵タンク。
嘉泉(かせん) 田村酒造場|貯蔵タンク
容量は3380リットルと書かれていますが、小仕込みで造る「田むら」の3仕込み分をブレンドするのに丁度いい大きさのタンクとか。

私が訪問した次期は、まだ製造が行われていませんでしたが写真の通り、とても清潔で散らかった感じは皆無。
ここまで綺麗な蔵は早々ありません。

訪問の証の記念撮影。
嘉泉(かせん) 田村酒造場|記念撮影
限定流通商品、田むらを手に取り感心する吾郎。

正直、訪問して驚きました。 事前に描いていたイメージと、直接現場で見た蔵とイメージが大きく違いました。

綺麗なのは外観だけではなく、蔵の中もご覧のとおり。
特に仕込みタンクは近代化されていて大手の蔵を見ているような感じ。
まだ全国区では名前をきかないものの、要注目の蔵だと思いました。

商品の購入・質問は嘉泉(かせん)、田むら|田村酒造場へお問い合せ下さい。
TEL:042-551-0003嘉泉、田むら醸造元田村酒造場
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。

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多満自慢(たまじまん)|石川酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 330蔵目

多満自慢(たまじまん)|石川酒造株式会社

東京都福生市熊川1


蔵元のサイト:http://www.tamajiman.co.jp

酒名:多満自慢(たまじまん)、たまの八重桜、東京地ビール 多摩の恵 
■創業:文久3年(1863年)18代 ■杜氏:社員杜氏(諸派) ■仕込み水:中硬水 ■訪問日:2013/09/09

代表銘柄

多満自慢 上撰 本醸造
多満自慢 純米大吟醸原酒 秋の慶
多満自慢 純米大吟醸 たまの慶


東京駅から電車で約1時間20分の場所に位置する福生市熊川。
いくら郊外とはいえそこは東京都、往復4車線の国道はトラックなど交通量が多く、車から見える景色はのどかな地方の光景とは異なります。

都会の酒蔵なのでそう敷地は広いはずが無いだろう。昔ながらの建物でこじんまりした酒蔵を想像しながら蔵に向かったのですが、蔵の近くの曲がり角を曲がった途端に景色が一変。

大きな木々が茂り、通りに向こうまで続く白壁の美しい建物。
一瞬、古い城下町にタイムスリップしたかのような錯覚に陥るこの酒蔵は、多満自慢(たまじまん)という酒を造る石川酒造株式会社です。

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多満自慢(たまじまん) 石川酒造株式会社|看板
石川酒造株式会社は文久3年(1863年)に石川和吉氏が創業した現在で18代続く酒蔵です。
石川家は室町時代から続くと言われる長い歴史を持つ家で、蔵のホームページによると江戸時代には庭場という近隣の共同社会の長として、また幕府直轄領熊川村の名主として地域のリーダーの役割を果たしていたと書かれています。

石川家13代目当主の石川 和吉氏が文久3年(1863年)に酒造業を開始。
創業当初の酒名は八重桜(やえさくら)といい、大正8年に「八重梅」に改名。
そして昭和8年、多摩地域だけではなく、より多くの人たちの心を満たすことが出来るようなお酒を目指す、という志より現在の主力銘柄「多満自慢(たまじまん)」が誕生します。

写真は本蔵と呼ばれる建物。
多満自慢(たまじまん) 石川酒造株式会社|建物
1880年(明治13年)に建てられた土蔵作りの三階建ての蔵。
高さ13メートル、横25メートル、奥行き28メートル。
真夏、外は35度くらい気温があっても、この蔵の中は20〜22度くらいまでしか温度が上がらないとか。
国の有形文化財に指定されていおり、この蔵の中で日本酒の製造・貯蔵が行われています。

写真は石川酒造のシンボルの1つ夫婦欅。樹齢は400年位上との事。
多満自慢(たまじまん) 石川酒造株式会社|夫婦欅

多満自慢(たまじまん) 石川酒造株式会社|熊川分水
蔵の中を流れる、玉川上水の熊川分水。

玉川上水とは江戸の町に水を供給するために、1653年に現在の羽村市から約43キロに渡って作られた水路です。

熊川分水は玉川上水からの分水で、熊川村の生活用水を供給するため明治19年から23年にかけて作られた用水路。
かつて石川酒造はこの水を利用し水車を動かし精米をしていたとの事。
玉川上水については、この地域では小学校で習うそうです。

多満自慢(たまじまん) 石川酒造株式会社|蔵の中
石川酒造では、かつては新潟の松代町(十日町市)から来る越後杜氏が酒造りをされていました。
しかし現在は東京農大で醸造学を学んだ社員が、先代の越後杜氏から技を教わり南部杜氏の勉強会などにも参加し酒造りを継承されています。

酒造りに用いる水は、上総層群東久留米層という地層(地下150メートル)から組み上げてきた地下水を使用。水質は中硬水。

毎年11月の上旬に新酒を出荷するので、それにあわせて秋の早い段階から製造を開始。
甑倒しは毎年2月の中旬から下旬頃。4月には搾りが終わり、年間約1500石の酒を製造。
造られる酒の大半は地元で消費との事ですが、地元が大消費地の東京というだけあって、普通の地方蔵と比べ製造量はかなり多いと思います。

造られる酒は、どちらかというと少し甘口傾向の酒だそうで、淡麗辛口ではなく旨口傾向。
淡麗辛口の酒も造られてはいますが全体としては極味があるタイプ。

今年創業から150週年を迎え、その記念酒として創業銘柄にちなんだ酒「たまの八重桜」を販売。純米酒で米の甘みがある酒との事。

写真はかつて蔵がビールを製造していた時に使用していた麦汁の煮沸釜。
多満自慢(たまじまん) 石川酒造株式会社|ビール釜
明治時代には日本には100〜150くらいの地ビールメーカーがあったそうですが、石川酒造は明治21年にビール造りを始められたそうです。
写真の釜はその当時のビール造りに用いられていた煮沸釜です。

現存する日本最古のビール釜ではないかと言われています。
石川酒造では明治21年にビールの醸造を始められたそうですが、打栓技術・冷蔵技術が行き届かなかった為、時期尚早と判断し1年でビールの製造をやめてしまいます。
その後、この釜は蔵の敷地の中で埋もれてしまい、忘れ去れた事によって第二次世界大戦の金属回収を免れたそうです。

現在では写真のようの敷地内に展示されていて、中を除くと見学をされてきた方が投げ込んだと思われる小銭が入っていました。

明治時代に早々に撤退したビール事業ですが、平成10年に再びビール事業を開始。
多摩の恵というビールを製造されています。

多満自慢(たまじまん) 石川酒造株式会社|ビール蔵 入り口
写真はビール工場の入口。

多満自慢(たまじまん) 石川酒造株式会社|ビール蔵

多満自慢(たまじまん) 石川酒造株式会社|ビールのラベル

写真は資料館。
多満自慢(たまじまん) 石川酒造株式会社|資料館

多満自慢(たまじまん) 石川酒造株式会社|資料館
蔵には資料館が有り、酒造りに関する資料、分水など地域に関する資料、明治時代に製造していたビールのラベルなどが展示されています。

写真は蔵の売店。
多満自慢(たまじまん) 石川酒造株式会社|売店

多満自慢(たまじまん) 石川酒造株式会社|日本酒
売店をはじめ、蕎麦・和食やビールが楽しめるレストランも併設されています。

多満自慢(たまじまん) 石川酒造株式会社|多摩の恵
蔵には全部で6つの文化庁登録有形文化財の建物があり、レストラン・売店・資料館が併設。
NIKKEIプラス1の何でもランキングのコーナーで「蔵見学におすすめの酒蔵」としてもランクインするなど、とても訪問者にオープンな蔵です。蔵見学におすすめする蔵の1つです。

最後に訪問の証の記念撮影。
多満自慢(たまじまん) 石川酒造株式会社|記念撮影
蔵の仕込水、上総層群東久留米層の地下水の美しい味に驚く吾郎。

商品の購入・質問は多満自慢(たまじまん)|石川酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:042-553-0100多満自慢、たまの八重桜、東京地ビール 多摩の恵醸造元石川酒造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。

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萬代(ばんだい)|株式会社小林酒造本店

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 329蔵目

萬代(ばんだい)|株式会社小林酒造本店

福岡県糟屋郡宇美町宇美2丁目11番1号


蔵元のサイト:http://sakebandai.com/

酒名:萬代(ばんだい)、博多の森 
■創業:寛政4年(1792年)8代 ■杜氏:社員杜氏(諸派) ■仕込み水:中硬水 ■訪問日:2013/03/25

代表銘柄

超辛口純米酒 博多の森
上撰 萬代
麦焼酎 はかた美人


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萬代(ばんだい)という名の酒を造る株式会社小林酒造本店は寛政4年(1792年)に初代小林作五郎氏が創業した現在で8代続く酒蔵。

この地の地主の家に生まれた作五郎氏は「五郎」と名がつくことから、恐らく長男で無かったのでしょう。本人の希望で酒造業を選び本家から分家する形で酒造業を創業したと言い伝えられています。

創業当初は「早見川」という酒名で酒を造られていたそうですが、天保5年に2代目の勝平氏が老亀によく似た石を手に入れ、その時に現在の酒名となる「萬代(ばんだい)」が誕生します。

写真は蔵の屋上から撮影。
萬代(ばんだい) 株式会社小林酒造本店|外観_ミニチュア

萬代(ばんだい) 株式会社小林酒造本店|外観_ミニチュア

萬代(ばんだい) 株式会社小林酒造本店|外観_ミニチュア
蔵を見下ろすシチュエーションで撮影出来る蔵は早々に無いので、ミニチュアフィルターで加工してみました。

写真は釜場。
萬代(ばんだい) 株式会社小林酒造本店|釜場
仕込水は蔵から直線で3〜4キロ離れた山の麓から採取される三郡山系の伏流水(中硬水)を使用。水源から蔵までパイプが引かれているとの事。

原料米は糸島産の山田錦をはじめ、ヒノヒカリ、夢一献などを使用。
日本酒の製造は毎年9月からスタートし、「にごり搾り」という酒を製造。10月の上旬に造りは一旦終了し、その後は新しい芋が収穫されてくる事から11月の末までいも焼酎の製造が行われます。

そして11月の末から4月まで再び日本酒の製造を開始。日本酒の製造が終わると次は麦焼酎・米焼酎の製造が始まり、それが終わると梅酒や奈良漬の製造が7月頃まで続くという、ほぼ1年中なんらかの製造が行われているとの事です。

写真は麹室。
萬代(ばんだい) 株式会社小林酒造本店|麹室
私が訪問した6月は塩麹が造られていました。

萬代(ばんだい) 株式会社小林酒造本店|仕込み部屋
現在の主力商品の萬代(ばんだい) は、大半が福岡市の近郊で消費されている日常酒。
量的には一番多く製造されているとの事。

次に力を入れている酒が「博多の森 純米酒」。
この酒は全国各地から博多を訪れるお客様に対し、福岡の地酒を飲んでいただく為には、福岡にちなんだ酒名である方がイメージが湧くだろうと、福岡で国体が開催された歳のメイン会場となった博多の森の競技場から命名。

辛口だけど味があり、九州の地酒の特徴も備えている酒。
毎年2割以上の伸びで出荷が増えているとのこと。

写真は吟醸の仕込み部屋。
萬代(ばんだい) 株式会社小林酒造本店|吟醸仕込み部屋

写真は槽場。
萬代(ばんだい) 株式会社小林酒造本店|槽場
大吟醸、純米大吟醸など高級酒を搾るときこの槽を使用。
使用回数は年に4〜5回程度との事。

最後に訪問の証の記念撮影。
萬代(ばんだい) 株式会社小林酒造本店|記念撮影
昔ながらの仕込み部屋を支える、磨きこまれたツヤのある柱に驚く吾郎。

福岡の酒は全国的にもやや甘口の酒が特徴。
お酒に限らず醤油をはじめ料理全体が少し甘く、甘い酒が好まれる地域。

そんな中、小林酒造では辛口ながらも、九州の特徴を持ち合わせた旨味のある酒を造られているとの事。
福岡に行かれた際に是非、お試しいただきたい銘柄です。

商品の購入・質問は萬代(ばんだい)|株式会社小林酒造本店へお問い合せ下さい。
TEL:092-932-0001萬代、博多の森醸造元株式会社小林酒造本店
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西乃蔵、博多小女郎|光酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 328蔵目

西乃蔵、博多小女郎|光酒造株式会社

福岡県糟屋郡粕屋町長者原95-3


蔵元のサイト:http://www.hakata-hikari.co.jp/

酒名:西乃蔵(にしのくら)、博多小女郎(はかたこじょろう) 
■創業:昭和34年(1959年)3代 ■杜氏:社員杜氏(諸派) ■仕込み水:弱硬水 ■訪問日:2013/06/04

代表銘柄

西乃蔵 純米酒
夢想仙楽 長期樫樽貯蔵 麦焼酎
博多小女郎 麦焼酎


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光酒造株式会社は昭和34年に光安 直(なおし)氏が創業した現在で2代続く酒蔵です。

創業者の光安 直(なおし)氏は大正11年に創業した光安酒造の生まれで当時、光安酒造では清酒と焼酎を製造していました。

直氏は長男では無かった為、第二次世界大戦の際に出征したものの戦後に復員。
実家の酒蔵に戻ってきて酒造業を手伝ようになます。

そして昭和34年に焼酎部門を分離独立し光酒造が誕生。
兄は光安酒造を継ぎ清酒を製造。兄弟で日本酒と焼酎を分担し、それぞれの会社で酒造りが行われるようになります。

当時は九州といえども清酒が中心に飲まれており、焼酎は付け足し程度で製造している程度だったそうです。
しかし炭鉱の町として栄えるうちに肉体労働者が焼酎を飲むようになり焼酎部門の業績が向上。
光焼酎、オオガメなど様々な銘柄の焼酎を製造されていたそうですが、昭和40年頃から炭鉱が廃れるようになります。

そんな時に博多小女郎という銘柄の焼酎を発売。
当時は商品名に「女郎」という文字が入るため、受け入れられるかどうか分からなかったのですが、販売を開始したところ大ヒットし今日に至る主力銘柄になります。

更に昭和50年頃に起きた第一次焼酎ブームも手伝い光酒造は順調に成長しますが、対照的に本家の清酒部門の光安酒造は時代の波に乗れず、その後廃業する事になります。

本家廃業後、平成元年に清酒免許を取得し日本酒の製造を開始。
酒名「西乃蔵」が誕生します。

写真は仕込み部屋。
西乃蔵、博多小女郎 光酒造株式会社|仕込み部屋
私が訪問した6月は焼酎の仕込みが行われていました。

焼酎の醪です。どう見ても日本酒とは異なりますね。
西乃蔵、博多小女郎 光酒造株式会社|焼酎の仕込み

写真は焼酎の麹を製造する製麹ドラム。
西乃蔵、博多小女郎 光酒造株式会社|製麹ドラム
日本酒蔵では見慣れない設備が並んでいるので珍しくて撮影。

写真は減圧蒸留機です。
西乃蔵、博多小女郎 光酒造株式会社|蒸留器
シーズン的に日本酒の製造は行われていおらず、代わりに焼酎の製造が行われていた為、焼酎の製造工程の撮影が中心になりました。

焼酎はほぼ一年中製造しているそうですが、日本酒は1月から3月の間に製造されているとの事。

日本酒造りに用いる原料米は地元の米どころ、筑後産が中心。 全量、弱硬水の地下水を使用。

光酒造は平成に入って端麗辛口が流行っていた時代に日本酒の製造を始めた事から、福岡酒には珍しく淡麗辛口路線の日本酒を造られているそうです。

訪問の証の記念撮影。高さ10メートルある大型の貯蔵タンクに驚く吾郎。
西乃蔵、博多小女郎 光酒造株式会社|記念撮影
屋外に大型タンクを置いている蔵は多いのですが、室内にこのクラスの大きさのタンクを置かれている蔵はそうそう見ません。
アルコール度数43度の原酒の焼酎が保存されているとの事です。

蔵元の話によると、福岡では焼酎が辛い酒として飲まれていてるため、日本酒には辛さを求める必要がなく、逆に焼酎には無い味が乗った少し甘く感じる酒が好まれるそうです。
西乃蔵はそんな福岡市場において少し異色の日本酒かもしれません。
今後の日本酒の活躍に期待します。

商品の購入・質問は西乃蔵、博多小女郎|光酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:092-938-2458西乃蔵、博多小女郎醸造元光酒造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。

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亀の尾(かめのお)|合資会社伊豆本店

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 327蔵目

亀の尾(かめのお)|合資会社伊豆本店

福岡県宗像市武丸1060


蔵元のサイト:http://www.kamenoo.com/

酒名:亀の尾(かめのお)、博多物語 
■創業:享保2年(1717年)11代 ■杜氏:久留米杜氏 ■仕込み水:弱硬水 ■訪問日:2013/03/25

代表銘柄

特撰 亀の尾
亀の尾 黄金の雫
吟醸 博多物語


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合資会社伊豆本店は享保2年(1717年)に創業した現在で11代続く酒蔵です。

この地の大地主であった創業者は、豊富に得られる米の運用手段の1つとして、赤間宿にて酒造業を開始。しかし水に恵まれなかったのか、その後良い水を求めて現在の場所に移転してこられたとの事。

元々は伊豆半島から来られたそうで、出身地を忘れないための伊豆の性を名乗られた言い伝えられています。
これは推測ですが、かつては士族であり主君に仕えて伊豆からこの地に来て土地を与えられたのではないかと考えられています。

大正時代以前は富士山の絵を書いて漢字の一(八一)と書き、「にほんいち」と読ませる酒を造られていたそうです。
その当時は大変景気が良かったのか、新潟杜氏、灘の杜氏、地元の杜氏の3人に杜氏が来て、それぞれを競わせて酒を造っていたそうです。
その時に、新潟杜氏が持ってきた米「亀の尾」で造る酒が一番出来が良かった事から、大正8年に「亀の尾」という酒名が誕生。伊豆本店の主力銘柄になります。

写真は伊豆本店が大正時代に販売されていた「亀の尾」のラベルのコピー。
亀の尾(かめのお) 合資会社伊豆本店|昔のラベル
商標登録が行われたた事が記載されています。

蔵元の話によると大正時代に「亀の尾」で商標登録をされていたとの事ですが、亀の尾という米は背が高く倒れやすいことから量が取れる米ではなく、第2次大戦の米不足とともに生産性が低い米などの理由で姿を消します。
そして第2次対戦以降、伊豆本店が商標の更新をしなかった事から権利が失効してしまったとの事。

時代は流れ昭和後期。
新潟の久須美酒造が亀の尾を復活させて酒を造った事が話題となり、日本酒ブームも手伝って亀の尾が注目されるようになります。亀の尾サミットというイベントが全国各地で開催され、伊豆本店の蔵元もこのイベントに参加。
自社でも亀の尾を復活させようと、約200粒の種籾を手に入れ栽培を開始。
5年かけて酒造りが可能な30俵まで米を増やす事が出来たので醸造を開始。
出来上がった酒は福岡県の品評会で金賞(5番目以内)を受賞されたそうです。

現在は亀の尾を復活させた久須美酒造が商標権を持っています。

亀の尾(かめのお) 合資会社伊豆本店|看板

杉玉にいる亀のしっぽは本物の亀の尾の稲で作られています。
亀の尾(かめのお) 合資会社伊豆本店|杉玉

亀の尾(かめのお) 合資会社伊豆本店|亀の尾の記事

亀の尾(かめのお) 合資会社伊豆本店|琺瑯タンク
現在の伊豆本店ですが、原料米には亀の尾の他に山田錦を使用。

今年から福岡県が新たに開発した酒造好適米「寿限無(じゅげむ)」という米を使用。
寿限無は山田錦と夢一献を掛けあわせた品種で、山田錦の醸造に優れた特性を持つ一方、背丈が低く台風でも倒れにくいため、安定した米の確保が行われるのが特徴。
現在、寿限無を用いて酒造りをしている蔵は全国でまだ4蔵しかないとの事。

亀の尾(かめのお) 合資会社伊豆本店|槽場
毎年11月の下旬から酒造りを開始し2月上旬には甑倒し。
製造された酒は2月の蔵開きを待って販売されているとの事。

蔵開きは大盛況のようで、かなりのお酒が蔵開きの時に売れてしまうとか。

また蔵元は、福岡で有名な「椒房庵」「茅乃舎(かやのや)」を経営する、株式会社 久原本家の社長とは親戚だそうで、蔵は県外には積極的に進出されていませんが地元に根強いファンが多いとの事。

亀の尾(かめのお) 合資会社伊豆本店|商品

訪問の証の記念撮影。
亀の尾(かめのお) 合資会社伊豆本店|記念撮影
蔵のシンボル、煙突の前で撮影。

一般的なレンガは長方形ですが、それだと正方形の煙突は出来ても六角形は無理です。 そこで角が120度の特注のレンガを用い煙突が作られているとの事。 六角形の煙突に驚く吾郎でした。

商品の購入・質問は亀の尾(かめのお)|合資会社伊豆本店へお問い合せ下さい。
TEL:0940-32-3001亀の尾、博多物語醸造元合資会社伊豆本店
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。

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楢の露(ならのつゆ)|勝屋酒造合名会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 326蔵目

楢の露(ならのつゆ)|勝屋酒造合名会社

福岡県宗像市赤間4丁目1-10


蔵元のサイト:http://www.katsuyashuzo.com/

酒名:楢の露(ならのつゆ)、沖ノ島(おきのしま)、赤間宿(あかましゅ) 
■創業:寛政2年(1790年)7代 ■杜氏:蔵元杜氏(諸派) ■仕込み水:城山伏流水(中硬水) ■訪問日:2013/06/3

代表銘柄

本醸造 沖ノ島
特別純米 赤間宿
楢の露 上撰


福岡市と北九州市の中間に位置する宗像(むなかた)市。

市の中心部となる赤間はかつては唐津街道の宿場町で明治から大正時代にかけて大変栄えたそうです。
赤間駅から少し歩くと今でも宿場町の面影を残す古い建物が並んでいます。
そんな昔ながらの建物の1つが寛政2年創業の7代続く酒蔵、勝屋酒造合名会社株式会社です。 katsu_gai2.jpg

日本酒、楢の露(ならのつゆ)を造る勝屋酒造合名会社は1790年(寛政2年)に、この地の大地主であった山本善一氏が創業した現在で7代続く酒蔵です。

創業当時は屋号は「勝屋」を名乗り、現在の赤間宿ではなく戦国大名宗像氏の居城があった城山の中腹にある登山口付近で酒造りをされていたそうです。

しかし明治6年に起きた筑前竹槍一揆にて蔵に暴徒が乱入。
蔵が打ち壊された事から赤間宿に来て、この地にあった蔵を買い取り現在の場所で酒造業を再開されたそうです。

楢の露(ならのつゆ) 勝屋酒造合名会社|問屋場跡

明治時代の赤間宿は賑やかだったそうで赤間宿だけで3件の造り酒屋が存在。
江戸時代は参勤交代の宿場町だった事から人も多かったでしょうし、お酒の需要もあったはずなので、需要に応じた数の酒が造られていたようです。

戦後には宗像市だけでも11件の造り酒屋があったそうです。
しかし現在でも酒造りを続けているのは2社のみ。

赤間宿に移転してきた勝屋は、宗像大社のご新酒を造るようになります。
宗像大社のご神紋が楢の葉っぱである事から、大社から「楢」の字をいただき「楢の露」の酒名が誕生します。
もう一つの酒名「沖ノ島」も宗像大社からいただいたとの事。

楢の露(ならのつゆ) 勝屋酒造合名会社|商品

楢の露(ならのつゆ) 勝屋酒造合名会社|売店

楢の露(ならのつゆ) 勝屋酒造合名会社|電話十番

ご神酒からスタートした蔵という事もあり、現在蔵で一番良く売れている酒が普通酒である上撰 楢の露。それに続いて本醸造 沖ノ島が売れているとの事。
特別純米 赤間宿は製造量的には多くないものの、造った分はすぐに全部売れてしまう人気の酒。

写真の方は専務・杜氏を務める川嶋利之さん。
楢の露(ならのつゆ) 勝屋酒造合名会社|川嶋杜氏

かつては糸島から芥屋(けや)杜氏が来て酒を造っていたそうですが、現在は川嶋利之さんが自ら杜氏となり酒造りをされています。

原料米は主に夢一献、あとは糸島産の山田錦、地元宗像で契約栽培している山田錦を使用。
仕込水は城山伏流水(中硬水)を使用。

酒造は毎年11月頃から開始し1月には甑倒しで、2月中には皆造してしまうとの事。
一週間で2本くらいのペースで仕込みを行い年間製造数は約200石。

九州は冬の気温が高いため仕込み温度が東北の蔵と比べたらどうしても高めになります。
自然環境には合わせざる得ない為、発酵温度が高い事を活かした味わいが強い酒を造られているとの事。

味が乗った酒というのは九州の食材との相性もよく、特に福岡の人は甘い食べ物を好まれるとか。
江戸時代長崎から入ってくる砂糖は高級食材であり、長崎に近い地域は砂糖を多く使うことが出来ました。そういう背景から長崎、佐賀、福岡は甘い味付けの料理が多くなったそうです。
自分の地域の料理は美味しいと自慢するときには「ウチは長崎にちかか」と言う事も有り、長崎に近いのでその分砂糖を沢山使っているから美味しい、という意味から来ているとの事。

写真は釜場。
楢の露(ならのつゆ) 勝屋酒造合名会社|釜場

この地域の人々は甘い料理が好きだったのでそれに負けない酒となると味が乗った酒。
端麗で綺麗なお酒だとこの地の食、特に玄海の魚には合わないそうです。
なので味をしっかり出すした酒を製造されているとの事。

同時に日本酒に含まれる生理活性物質の多さにも着目されていて、日本酒には約600〜700種類の生理活性物質が含まれているそうです。

日本酒の酵母はアルコールが17度以上ある過酷な環境でも生きることが出来ますが、そんなタフな酵母が生成する生理活性物質が豊富に含まれている食品は早々ありません。

日本酒には身体をメンテナンスする成分が沢山含まれているので、そういう点からも日本酒の良さを伝えるべく、蔵開放や酒蔵コンサートを開催したの時などに「お酒の学校」を開催。
地元消費者の方に健康面からも日本酒の良さを伝え、地域の人から愛される酒蔵として、細く長く酒造りを続けていきたいとの事。

楢の露(ならのつゆ) 勝屋酒造合名会社|琺瑯タンク

楢の露(ならのつゆ) 勝屋酒造合名会社|井戸

訪問の証の記念撮影。 楢の露(ならのつゆ) 勝屋酒造合名会社|記念撮影
本醸造 沖ノ島に感心する吾郎。

勝屋酒造は地元から根強い人気があり、酒蔵コンサートやお酒の学校、米作り・酒造り体験コースなど様々なイベントを実施されているとても地元に開放的な酒蔵。

また杜氏さんは日本酒が生成する生理活性物質についてもとても詳しく、とても興味深い話を聞くことが出来ます。
駅からも近いので電車で蔵訪問に行けるため試飲なども可能。イベンんなどト開催される際にはぜひとも訪問をおすすめする蔵元です。

商品の購入・質問は楢の露(ならのつゆ)|勝屋酒造合名会社社へお問い合せ下さい。
TEL:0940-32-3010楢の露(ならのつゆ)、沖ノ島、赤間宿(あかましゅ)醸造元勝屋酒造合名会社株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。

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白木久(しらきく)|白杉酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 325蔵目

白木久(しらきく)|白杉酒造株式会社

京都府京丹後市大宮町周枳954


蔵元のサイト:http://www.shirakiku.info/

酒名:白木久(しらきく) 
■創業:安政6年(1777年)11代 ■杜氏:諸派(蔵元杜氏) ■仕込み水:軟水 ■訪問日:2013/03/19

代表銘柄

純米酒 白木久
吟醸酒 白木久
上撰 白木久


白杉酒造株式会社は1777年(安政6年)に創業した236年の歴史を持つ現在で11代続く酒蔵です。
DSC_0156.jpg
残念ながら創業の経緯は伝え聞いてないという事で不明なのですが蔵元の話によると、かつてこの地の大地主だったということから、余剰米でお酒を造っていたのではないかと考えられます。

写真の方は11代目蔵元の白杉 悟さん。
白木久(しらきく) 白杉酒造株式会社|白杉 悟蔵元
白杉酒造では現在、11代目蔵元が自ら杜氏となり酒造りをされています。
流派は無所属。

白杉 悟さんは、この蔵の後継者の家ではなく先代の蔵元から見て甥っ子でした。
蔵を継がれる以前は京都市内に住まわれていたそうですが、10代目には後継者がいなかった事から、甥であり4男であった悟さんが大学を出て直ぐの22歳の時に養子に入り蔵を継がれたそうです。

悟さんは幼い頃からよく蔵に来られていたそうで酒造りの現場が好きだったそうです。大学を出た後も都会ではなく地元で働きたいと考えられていたそうで迷わず蔵を継がれたとの事。

蔵に入った時には但馬から杜氏が酒造りに来られており、その杜氏の元で酒造りを学ぶと同時に広島と東京の醸造試験所で勉強をされます。
5年間杜氏の元で酒造りを行った後に悟さんが杜氏となられ酒造りが行われるようになります。

全ての酒米を地元の米だけを使用。
特定名称酒には京都の酒米「祝」のみ。普通酒には麹米は祝で掛け米には五百万石。

丹後は関西で唯一コシヒカリの特Aを取っている米作りに適した土地です。
酒米についても良い米が取れるので地元の米を使いたい、という事で農家と直接契約栽培し米を作ってもらっているとの事。
使用している全ての米が契約栽培だそうです。

仕込水は裏山から湧く地下水を使用。
硬度19mg/Lの超軟水。
水量はとても豊富だそうで仕込水から洗い物にいたるまで全て地下水を使用。

造り手は悟さんと米作りをされている農家の松本さんとの二人。繁忙期には悟さんの奥様が加わり3名で製造。
11月上旬から酒造りがスタートし12月中旬には甑倒し。年間製造量は約60石という極小規模蔵です。

写真は蔵の代表銘柄は白木久(しらきく)白木久(しらきく) 白杉酒造株式会社|白木久 吟醸
ラベルのデザインが今風でおしゃれですね。

白杉酒造では古くから白木久(しらきく) という酒名の酒を製造されており、現在でも蔵の代表銘柄として用いられています。

緑の純米酒が一番良く売れているそうです。
白木久(しらきく) 白杉酒造株式会社|白木久 純米酒

平成22年より現在のラベルにデザイン変更。
三角錐のマークは杉の木をイメージされているとの事。

日本酒以外には梅酒と紅芋を使ったリキュールを製造されているそうです。

写真は蔵に併設されている喫茶店。
白木久(しらきく) 白杉酒造株式会社|喫茶店

丹後は全域で軟水だそうですが、その中でも蔵の仕込水は特に軟水。
その為、口当たりが柔らかく女性的な酒が特徴との事。
蔵がこだわっている原料米「祝」特徴も活かせる事から、京都の酒ではなく丹後でしか造れない地酒として特徴を出していきたいとの事。

最後に訪問の証の記念撮影。 白木久(しらきく) 白杉酒造株式会社|記念撮影
樹齢400年と伝えられている椎の木に驚く吾郎。

製造された酒の9割は地元の京丹後市内で消費されているとの事。
まだまだ地元への普通酒の出荷が多いとの事ですが、11代目は近い将来全量純米蔵に変えたいという事を考えておられるそうです。
今後の活躍に期待したい蔵です。

商品の購入・質問は白木久(しらきく)|白杉酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0772-64-2101白木久醸造元白杉酒造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。

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弥栄鶴(やさかつる)|竹野酒造有限会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 324蔵目

弥栄鶴(やさかつる)|竹野酒造有限会社

京都府京丹後市弥栄町溝谷3622-1


蔵元のサイト:http://www.yasakaturu.co.jp/

酒名:蔵舞(くらぶ)、弥栄鶴(やさかつる) 
■創業:昭和22年(1947年)5代 ■杜氏:能登杜氏(蔵元杜氏) ■仕込み水:中軟水 ■訪問日:2013/03/19

代表銘柄

亀の尾蔵舞
弥栄鶴 山廃純米七〇
祝蔵舞


京都府の日本海側に位置する丹後半島。
天橋立が有名なこの地は米どころでもあり、この小さな半島の部分だけで9件の酒蔵が存在しています。

その中の一社、注目の新進気鋭の若手醸造家として静かに注目されている蔵が有ります。
弥栄鶴(やさかつる)という名の酒を造る竹野酒造有限会社です。

竹野酒造有限会社は第2次世界対戦の企業整備令によって休業していた行待(ゆきまち)酒造場の呼びかけにより4社が合併し誕生した酒蔵です。
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行待酒造場はこの地に長く続く地主である行待 喜一郎(ゆきまち きいちろう)氏が明治中期に創業した酒蔵。

千年勢(ちとせ)という酒名の酒を製造していましたが昭和19年に企業整備例で休業を余儀なくされます。そして戦後、3代目の歌造(うたぞう)氏が酒造業の再開を決意。

当時の酒造免許は酒株制度のように免許によって製造可能な量が決まっていたそうです。
そこで1社での再開ではなく、4社の酒造免許を集めることで約600石の製造が可能になることから4社が合併し竹野酒造有限会社の名前で酒造業を復活します。

復活後、数年間は行待酒造場が用いていた酒名「千年勢(ちとせ)」という名の酒を造っていたそうですが、4社で合併したということなので統一銘柄を作ろうという話となり、昭和25年に現在の代表銘柄、弥栄鶴(やさかつる)が誕生します。

写真の方は5代目蔵元、行待 佳平(ゆきまち よしへい)さん。
弥栄鶴(やさたつる) 竹野酒造有限会社|行待 佳平(ゆきまち よしへい)蔵元
蔵は昭和22年創業で現在5代という理由は、前身である行待酒造場の代を数えているとの事。

現在の竹野酒造では6代目となる29歳の行待 佳樹(ゆきまち よしき)さんが杜氏となり酒造りが行われています。

佳樹さんは東京農大卒業後、石川県の常きげんにて能登杜氏四天王と言われる農口杜氏の元で2年間修行。その時の同期に、同様に現在注目の兵庫県は淡路島の酒蔵「都美人」の山内邦弘さんがおられたそうです。

蔵に戻ってきてから3年目となる25歳の時に杜氏に就任。現在は造り歴は8年という新進気鋭。 能登杜氏組合に所属。

弥栄鶴(やさたつる) 竹野酒造有限会社|商品
蔵はかつては三増酒を造っていた時期があったそうですが、10年前に蔵元が「純米酒をきっちり造ろう」と方針転換。
前杜氏(但馬杜氏)が純米酒が得意だったそうで、蔵元自ら前杜氏の元で酒造りを手伝う中、縁があって地元で様々な米のタネが手に入ります。
その最初に出会った米が「亀の尾」。蔵元は亀の尾蔵舞(かめのおくらぶ)という純米酒を企画されます。

「蔵舞(くらぶ)」とは、現在蔵が最も力を入れている酒で「蔵舞」の上に米の品種名や漢字1文字が入ります。
現在では亀の尾蔵舞、旭蔵舞、祝蔵舞、錦蔵舞(山田錦)、祭蔵舞(祭りばやし)の5種類があります。

弥栄鶴(やさたつる) 竹野酒造有限会社|亀の尾蔵舞
蔵舞シリーズは米にこだわっているのですべて純米。
特に亀の尾蔵舞は4月で売り切れた人気商品との事。

写真は精米機。
弥栄鶴(やさたつる) 竹野酒造有限会社|精米機

開始当初、蔵の手が届く地元農家と契約し初年度は1反の田んぼで亀の尾の栽培をスタート。
3年後に蔵の目の前の田んぼを含む4反まで増やすことが出来たそうですが、手間がかかり扱いにくい米ということから亀の尾での造りを辞めようかと考えていたそうです。
そんな中、息子さんが杜氏となった初年度に造った亀の尾蔵舞を全国酒類コンクール純米部門に出品したところ1位を獲得。

これを境に地元農家は「そんな良い酒が出来る良いお米なら作らないわけにはいかない」と応えてくれるようになり、地元で亀の尾を栽培してくれる農家が増加。 今年度は亀の尾の田んぼは2町分を確保でき、1升ビン換算で5千本くらい製造が可能との事。

並行し地元の農家と田んぼを見て歩き、農家と相談をし協力者を一人づつ増やし、亀の尾以外にも、祝(いわい)、祭り晴(まつりばれ)といった他の品種の契約栽培を増やしていきます。 今年から山田錦の契約栽培も開始。それまでは兵庫県から仕入れていたのですが今年からは地元の山田錦が用いられる計画です。

写真は麹室。
弥栄鶴(やさたつる) 竹野酒造有限会社|麹室
私が訪問した3月19日には、すでに室は片付けられていて、仕込み以降の作業が行われていました。

写真は仕込み部屋。
弥栄鶴(やさたつる) 竹野酒造有限会社|仕込み部屋

仕込みの大きさは1.8トンが中心。
純米だろうが吟醸だろうがすべて1.8トン仕込み。

弥栄鶴(やさたつる) 竹野酒造有限会社|槽場

弥栄鶴(やさたつる) 竹野酒造有限会社|ビン詰め場
蔵元は、良い酒を造る事はもちろんですが同時に農家を支援する事も重要。
特に若手の農家を育てなくてはいけない、という考えを持たれています。

今年から山田錦を育ててくれる農家は30代前半の方。
「有機の郷 構想」というのを考えていて、3年後は有機栽培で米作りが出来るよう今は土作りからはじめているところだそうです。

国による複雑な農業政策などの問題に加え、農家それぞれにも思惑が有るため、とても難しい課題だそうです。しかし蔵元は地元農家の方と何度も何度も膝を詰めた話し合わないを行い、一歩づつ前に進まれているとの事。

最後に訪問の証の記念撮影。
弥栄鶴(やさたつる) 竹野酒造有限会社|記念撮影
蔵のおすすめ銘柄「亀の尾蔵舞」に感心する吾郎。

この日は車での訪問であったので試飲は出来なかったのですが、少し試飲用のサンプルを頂き後日、会社で試飲したのですが正直驚きました。

古い品種である亀の尾は、硬いタイプの酒に仕上がる事が多いのですが、この蔵が造る亀の尾は良い意味で今まで飲んできた亀の尾とは異なり硬さが取れ、丸く柔らかい酒に仕上がっていました。

残念ながら米不足のため、県外の酒屋に出荷できる製造数量が無いとの事。
しかし米の量が増えるようなら、是非とも県外にも出荷していただき多くの日本酒愛好家に知ってもらいたい存在の酒だと思いました。

商品の購入・質問は弥栄鶴(やさかつる)|竹野酒造有限会社へお問い合せ下さい。
TEL:0772-65-2021弥栄鶴、亀の尾蔵舞醸造元竹野酒造有限会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。

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玉川(たまがわ)|木下酒造有限会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 323蔵目

玉川(たまがわ)|木下酒造有限会社

京都府京丹後市久美浜町甲山1512


蔵元のサイト:http://www.sake-tamagawa.com/

酒名:玉川(たまがわ) 
■創業:天保13年(1842年)7代 ■杜氏:南部杜氏(社員) ■仕込み水:弱軟水 ■訪問日:2013/03/18

代表銘柄

玉川 Ice Breaker
玉川 福袋 純米吟譲 無ろか生原酒
玉川 自然仕込 純米酒


DSC_6903.jpg
木下酒造有限会社は天保13年(1842年)に5代目木下 善兵衛氏が創業した現在で7代続く酒蔵です。

善兵衛氏はこの地に30町(9万坪)もの土地を持つ大地主で余剰米があった事から酒造りを開始されたとの事。

蔵が酒造業を開始したとされる天保13年ですが、天保4年に天保の大飢饉が起きて天保7年には10万人の餓死者がでたほど米が不足していた時期です。
新規の酒造株など早々に許可されなかった時代でしたが、米が無いことから酒を造ることが出来ないため廃業していく酒蔵も多かったそうです。

善兵衛氏の親戚に酒造家がいたそうで、そこから100石の酒造株を購入して酒造りを始められたとの事。

創業当初の酒名は不明。現在の酒名「玉川」はいつ頃に誕生したのかは不明。
蔵がある地域が川崎といわれていたことから地元の人々は蔵を「川崎」と読んでいたそうです。
蔵は昭和27年に法人化し木下酒造有限会社となります。

写真の方は5代目蔵元、木下善人さん。
玉川(たまがわ) 木下酒造有限会社|木下善人蔵元
酒造業を開始してからでは5代目ですが家全体では11代続くとのこと。

写真は蔵にある売店。
玉川(たまがわ) 木下酒造有限会社|店内

玉川(たまがわ) 木下酒造有限会社|商品

玉川(たまがわ) 木下酒造有限会社|商品
蔵には売店が併設されてありお酒の購入も可能。

それまでは地元を中心に酒を販売していた蔵でした。
久美浜はズワイガニの本場で、今でもズワイガニを売りとする温泉旅館が多いところ。

造る酒は地元の温泉旅館で主に消費されていたそうですが、かに料理を食べさせてくれる温泉旅館の数はバブル崩壊後から徐々に減少。地元以外の販路拡大を迫られていた蔵に平成19年にフィリップ氏が杜氏に就任。
これをきっかけに木下酒造が全国区で知られる酒となります。

写真の方が杜氏を務めるフィリップ ハーパーさん。
玉川(たまがわ) 木下酒造有限会社|フィリップ ハーパー
フィリップ ハーパーさんが何故、日本に来て酒造りを行うようになったのか?蔵で話をお伺いしました。

フィリップ ハーパーさんは昭和63年、イギリスの南西の果てのコーンウォールから日本にやって来ました。来日の目的は「外国で生活してみたかったから」とか。

日本酒など飲んだことなど無かったフィリップさんは、当時文部省と外務省が行なっていたJETという制度を利用し来日。
JETとはアメリカやイギリスで大学を卒業した人間を日本の中学校や高校で英語の勉強を教えるとう制度。

フィリップはJETの2期制として来日。大阪の高校で英語の授業を教える事になります。

もともとお酒を飲むことが好きだったというフィリップさんは、来日後あちらこちらで開催される学校の宴会に度々顔を出されたそうで、そこで初めて日本酒という飲み物に出会います。

同じ高校で働いていた事務員の方と仲良くなり、その方が大の日本酒好き。
その事務員の方の中学時代の同級生が、現在石川県の酒蔵で「遊穂」という酒を造る横道杜氏で、その頃は同様に職員をされていたそうです。

フリップさんと事務員の方と横道さんの3人で蔵に行ったり日本酒の会に行くようになり3人は日本酒の道に進むことを真剣に考えるようになります。

そして2年間のJETのシステムが終了する頃、同じ学校の事務の方が公務員を辞めて奈良県の梅乃宿という酒蔵に就職されます。
それに刺激されフィリップさんもそのまま日本に残って日本酒の仕事をする事を決意。

しかしフィリップさんはイギリス人なので酒蔵で働くにはビザが必要です。
調べたところ陶芸をされている外国人が「文化活動ビザ」を得て日本で働かれている事を知り、フィリップさんも文化活動ビザの取得を考えます。

天満橋の入国管理局に通い説明するのですが「前例がない」という事で、入管の方は良い返事をくれません。

昼は英会話学校で働き、夜は地酒専門居酒屋でバイトで生活費を稼ぎながら、週末やお正月休みには友達が働いている梅乃宿に顔を出す。
その間に何十回も入国管理局に通い、何度も何度も「これは伝統文化」である事を説明し続けた結果、文化活動ビザを取得されたそうです。

そして平成3年に梅乃宿の蔵人として働くようになります。
そして同じ年に横路さんも学校の仕事をおやめになり蔵人となったとの事。
なのでフィリップさんと横路さんは酒造りのキャリアは同じになります。

平成7年には南部杜氏の試験に合格。
その後、大阪の蔵や関東の蔵などを経て平成19年に木下酒造の杜氏となります。
当時は季節雇用でしたか平成24年には木下酒造の常務取締役となり役員となり今に至ります。

写真は釜場。
玉川(たまがわ) 木下酒造有限会社|釜場

玉川(たまがわ) 木下酒造有限会社|釜場

玉川(たまがわ) 木下酒造有限会社|蒸し米
原料米にはコウノトリの郷で栽培されている五百万石、京都の酒造好適米の祝、兵庫県産の北錦、同じく兵庫県産の山田錦。
人気の酒、アイスブレーカーには滋賀県の清水さんという農家が育てる日本晴を使用。

京都府の酒蔵ではありますが、車で10分も走れば兵庫県である事から兵庫の米が比較的多いとのこと。仕込み水には、蔵の裏山から湧く弱軟水の「城山の水(天然水)」を使用。

仕込みは10月上旬に酒造りがスタート。(精米は米が入ってきたら直ぐ)
週に3本くらいのペースで酒を仕込み甑倒しは3月中旬。年間で約650石の酒を製造されています。

写真は麹室。
玉川(たまがわ) 木下酒造有限会社|麹室

写真は仕込み部屋。
玉川(たまがわ) 木下酒造有限会社|仕込み部屋

玉川というと山廃仕込みが人気商品なので、山廃やら生もと造りやら、そんな酒ばかり造っているイメージがあります。 しかし速醸も沢山造っておられ、甘い酒(アイスブレーカー)も造っておられ、1つの箱に収まらず様々なお酒を造っているとの事。

玉川(たまがわ) 木下酒造有限会社|槽場

木下酒造では蔵から少し離れた場所に精米場があります。
玉川(たまがわ) 木下酒造有限会社|精米機
写真の精米機を用いて原料米を精米しているとの事。

訪問の証の記念撮影。
玉川(たまがわ) 木下酒造有限会社|記念撮影
地酒アイスを楽しむ吾郎。

フィリップさんが木下酒造の杜氏に就任した年は製造量は300石だったそうで、現在はその頃から比べて2倍以上に生産量を伸ばしたことになります。
まだまだ勢いがあり、今後の更なる成長を期待させる蔵元。日本酒ファンの皆様、要チェックです。

商品の購入・質問は玉川(たまがわ)|木下酒造有限会社へお問い合せ下さい。
TEL:0772-82-0071玉川醸造元木下酒造有限会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。

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久美の浦(くみのうら)|熊野酒造有限会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 322蔵目

久美の浦(くみのうら)|熊野酒造有限会社

京都府京丹後市久美浜町45-1


蔵元のサイト:http://www.kuminoura.com/

酒名:久美の浦(くみのうら) 
■創業:大正時代(1912年〜1926年)3代 ■杜氏:但馬杜氏 ■仕込み水:軟水 ■訪問日:2013/3/18

代表銘柄

久美の浦 特別本醸造
久美の浦 純米吟醸 杜氏の独り言
久美の浦 秀醸


DSC_k6491.jpg
熊野酒造有限会社は大正時代に創業した現在で3代続く酒蔵。

創業者の柿本 文八氏は蔵の近くに住むこの地域の庄屋でした。
かつて庄屋や地主というと小作人が上納する米で生活が出来たのですが、米相場が豊作の年と不作の年の差が大きく、収益が安定しなかった事から明治以降にはリスク分散として他の商売を始められる方が増加します。

柿本文八氏もそんな一人だったようで、最初は酒造業ではなく農業に関する道具を扱う「鶴屋」という屋号の店を始めます。

しかし商売の経験が無い上に、時代のニーズ的にもそういう商売が時期的に難しかったようで早々にリタイヤ。

次に造り酒屋を始めようと、鶴屋で失敗したので次は「亀屋」の屋号で再挑戦。
屋号が亀屋なので「浦島」という名の酒を造られていたそうです。

酒造業は成功されたようで、昭和2年に法人化しその時に現在の酒名「久美の浦」が誕生します。

写真は創業当時に実際に用いられていたという通い徳利。
久美の浦(くみのうら) 熊野酒造有限会社|亀屋

久美の浦(くみのうら) 熊野酒造有限会社|久美の浦 特別本醸造

現在の久美の浦では今年80歳になった但馬杜氏が酒造りをされています。
酒造りに用いる原料米はレギュラー商品は京都府産の五百万石を使用。
吟醸酒は兵庫の山田錦。京都の酒米、祝(いわい)。
掛米には祭り晴、日本晴を使用。

仕込み水は水道水を純水にした水を主に使用。
蔵は様々な地下水を使った結果、純水が一番再現性がよい理由から、最近では純水がメインに。 しかし地下水も使っておられ、毎年近隣の異なる地下水を用いて仕込んだ酒「純米吟醸 杜氏の独り言」という酒を製造。人気があるとの事。

酒造機は10月の中頃から準備を開始、甑倒しは3月の頭で3月中に皆造。
年間製造量は約500石。

量的に最も沢山製造している酒は久美の浦 秀醸。
いわゆる昔の一級酒という酒。地元を中心に一番良く売れている酒。

蔵のこだわりの酒は上記にも少し触れていますが久美の浦 純米吟醸 杜氏の独り言。
地方に行くと「名水」を見かけますが、蔵の周辺に地域に存在する「名水」を毎年地域を変えてタンクローリで運んできて仕込んでいる酒。

写真は純米吟醸 杜氏の独り言。
久美の浦(くみのうら) 熊野酒造有限会社|久美の浦 杜氏の独り言
ラベルには色々な言葉が書かれていますが、毎年全て異なるとの事。

蔵元の話によると、久美の浦の特徴は濃いお酒だそうです。
この地域は昔から濃い酒しか造られてこなかった地域で、新潟のような端麗辛口のような酒がなかったとか。

冬は来る日も来る日も曇り空で湿度が多い為、麹も乾かず総はぜの麹になりやすく結果、味がしっかりした酒が出来てしまたのでは?との。
熊野酒造に限らず周囲の蔵も濃醇な酒を造る蔵が多いそうです。

写真は釜場ですが、4段に用いる甘酒を製造している様子。
久美の浦(くみのうら) 熊野酒造有限会社|4段仕込

久美の浦(くみのうら) 熊野酒造有限会社|4段仕込
私が訪問した3月18日には既に甑倒しが終わっていて、代わりに最後のモロミに用いる4段が製造されていました。

写真は仕込み部屋。
久美の浦(くみのうら) 熊野酒造有限会社|仕込み部屋

土地の人々に愛される酒を造ってきた蔵ですが、今は地元の人口は減る一方で飲みて手も減ってしまいました。

地元の人口を増やすことは困難なので、蔵を維持するには人口にいる県外にお酒を売る必要に迫られているそうです。

そんな状況からか、全く別の仕事をされていた蔵の長男が3年前に蔵に戻ってこられ酒造りに参加。製造期には杜氏とともに酒を造り、他の季節にはセールスに行ったりあらゆる仕事を担当されているとの事。

近い将来、首都圏など日本酒専門店に姿を表す可能性が高い蔵と言えます。

こちらは槽場。
久美の浦(くみのうら) 熊野酒造有限会社|槽場

久美の浦(くみのうら) 熊野酒造有限会社|記念撮影
最後に訪問の証の記念撮影。
亀屋の暖簾の前で「杜氏の独り言」に驚く吾郎。

後継者が蔵に戻ってきたタイミングというのが、酒蔵が一番変化する時です。 久美の浦は現在は首都圏をはじめとする地酒専門店には目にしない酒ですが、蔵が進む方向として、県外に売っていくという事が必要があります。
そのために後継者が戻ってきて蔵の仕事をされている事から、近いうちに全国の日本酒ファンの前にデビューする期待が高い蔵元です。
日本酒ファンの皆様、要注意の蔵元ですよ。

商品の購入・質問は久美の浦(くみのうら)|熊野酒造有限会社へお問い合せ下さい。
TEL:0772-82-0019久美の浦醸造元熊野酒造有限会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。

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