新進気鋭 酒蔵訪問の旅。
132件目の訪問蔵は、
和歌山県海南市で黒牛(くろうし)・菊御代という酒を醸す名手酒造店です。
黒牛・菊御代|名手酒造店
所在地:和歌山県海南市黒江846
銘柄:黒牛・菊御代
創業:1866年 5代目
杜氏:但馬杜氏
仕込み水:弱硬水
訪問日:2011/3/2
代表銘柄
黒牛 純米酒
黒牛 純米酒 無濾過生原酒
一掴 大吟醸
日本酒ファンの間で人気の地酒、黒牛(くろうし)で有名な名手酒造店。

名手酒造店は慶応2年(1866年)に名手源兵衛氏が創業した酒蔵です。
創業当時、蔵は今の位置から約100メートル離れた場所にあったそうですが、明治5年に建物ごと引っ張って来て今の位置の移転。当時は約80石の酒を造っていたと記録に残っているそうです。
(写真の建物は大正5年〜7年頃に建てられたものです。この裏にある蔵が建物ごと引っ張ってきたそうで、江戸時代頃に建てられたものもあるとの事です)
創業者はいずれもパワフルな人物が多いのですが、名手酒造店の創業者もパワフルな方でした。
農村の出であった源兵衛氏は肥料屋に奉公に入ります。
やがて肥料屋の本家から暖簾分けを受け、ろうそく屋を創業しますが事業に失敗。
再び本家の肥料屋への奉公と逆戻りすることになります。
しかし自分の店を持ちたい希望は捨てきれず、酒造業の起業を考えますが、ろうそく屋で失敗た経緯があるので、そう簡単にはいきません。
ハンディがありながらも、本家を説得し200両を借り受けて酒造業を開業します。
無い背水の陣の思いで起業されたのでしょう。
写真の方が名手酒造店5代目の名手 孝和さんです。
源兵衛氏の決断は成功します。
創業当初は80石でスタートした名手酒造店ですが明治時代に入り業績を伸ばし、大正時代には更に業績が良かったのでしょう。
現在の蔵の本宅となる建物(先頭の写真)を大正の5年から7年にかけて建てられます。
本家から借り入れた200両も利息をつけて返済され事業は軌道に乗っていきます。
現在和歌山県で稼動している造り酒屋は、大正から昭和にかけて創業した酒蔵と、江戸時代から続く酒蔵に2分されますが、名手酒造店は後者の戦前前から続く「旦那衆」に属する造り酒屋になります。
写真は薮田(やぶた)と呼ばれる、日本酒の圧搾機です。タンクで発酵していた醪(もろみ)をこの圧搾機で濾して、日本酒と酒粕に分離します。
和歌山県は海岸線からすぐ山という地形から、海岸線しか移動できないという時代が近年まで続いてきました。
となると三重県か大阪府に移動するしかありません。
隣接する県に奈良もありますが、山道が続く上に市場消費地といえる奈良市内までは遠く、不便なのです。
商業的に日本酒を売り込みに行く大消費地を考えると、大阪になるのですがその大阪は灘と伏見の2大勢力のお膝元。
この市場に和歌山酒が入り込むことは難しいどころか、「灘の酒蔵が日帰りで営業できる距離に和歌山があった」ことから、逆に灘の日本酒が和歌山県内を進出してきました。
和歌山の消費者にとって、灘の日本酒はとても魅力的な存在であり「灘の生一本」というのはとても強いブランドでした。
そのような背景から、和歌山の酒蔵の中には灘に蔵を構え、灘で造った酒に「灘の生一本」というブランドを引っさげて、地元に持って帰ってくるという蔵が現れました。それらの酒蔵は力をつけて和歌山を代表する蔵に成長していきます。
それに対し大規模化に進まなかった名手酒造店は厳しい状況に迫られます。
写真は大吟醸 一掴(ひとつかみ)、黒牛 純米大吟醸を仕込む部屋です。昭和63年の大晦日、
信託銀行に務められていた名手 孝和さんが銀行を退職し蔵に戻ってこられます。
その当時、名手酒造の年間製造国数は450石。
蔵を継続するのか、廃業をするのか2つの選択に迫られていたそうですが、銀行を辞めて蔵に戻ってこられた孝和さんの選択は「続ける」以外にありません。
その当時は既に「吟醸酒」の市場が存在していましたが、孝和さんは純米酒を造っていくことを考えます。
バブル崩壊後、現実的に毎日の晩酌に出来ないような高級酒ではなく、普段の晩酌が出来て尚かつこだわりが感じられる本格志向の酒、黒牛 純米酒を企画します。
平成元年の仕込みから純米酒造りを開始し、平成2年には黒牛の発売を行います。
同時に蔵に隣接する土地を確保に成功。設備的に純米酒を造っていける体制が整えていきます。
もしこの土地が手に入らなかったら黒牛は無かっただろう、孝和さんはそう話されました。
バブル崩壊後の本物志向と低価格志向が混在した時代、2千円台で購入できるこだわりの純米酒である黒牛はヒットします。
まだ和歌山の地酒が「銘酒専門店」と呼ばれる酒屋に並ばなかった時代、黒牛が和歌山の地酒の中で先駆けとなり銘酒専門店に並び始めます。
温暖で梅とミカンの特産地であり、日本酒の銘醸地とはイメージが遠い和歌山県。
「銘酒」のジャンルでは販売が難しいと思われていた和歌山の地酒において、新たな方向性を示した蔵と言えます。
写真は釜場です。蔵は時代と共に周辺の土地を吸収し、大きくなってきました。
最後に訪問の証の記念撮影です。蔵に隣接する「黒牛茶屋」で撮影しました。今年の新酒の出来映えを確認。
新商品「黒牛 純米吟醸 ふなくち搾り 本生原酒」は試飲で即決、その場で仕入れを決定。
35ケース中15ケースを買占めようと考えながら試飲する吾郎でした。
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。