香の泉(かのいずみ)、唯唯(ただただ)|竹内酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 352蔵目

香の泉(かのいずみ)、唯唯(ただただ)|竹内酒造株式会社

滋賀県湖南市石部中央1-6-5


蔵元のサイト:http://www.kanoizumi.jp/

酒名:香の泉(かのいずみ)、唯唯(ただただ)、近江万葉 
■創業:明治5年(1872年)7代 ■杜氏:南部杜氏 ■仕込み水:軟水 ■訪問日:2014/07/16

代表銘柄

香の泉 極上辛口
唯々 特別純米
宮崎へべすのおいしいお酒


日本一大きな湖「琵琶湖」をもつ滋賀県。

県の面積は全国で10番目の小ささで、更に琵琶湖が全面積の6分の1を占めています。

その割には酒蔵の数は多く、滋賀県酒造組合のサイトによると33件の酒蔵が登録。

地産地消が今でも根強く続く特徴があり、特に滋賀県の甲賀周辺ではナショナルブランドの日本酒を目にするのが珍しく、地元の日本酒が根強く消費されているとの事。

香の泉という酒名の酒を造る竹内酒造株式会社も、地元から根強く愛されている酒蔵のひとつ。

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竹内酒造株式会社|蔵の外観
竹内酒造株式会社は明治5年に創業した現在で7代続く酒蔵です。

創業当時の酒名は「朝日香の泉」といい、今の蔵の敷地内の旧東海道に面した場所で創業。

酒名の由来は、香りが良く綺麗なお酒というところからきているとの事。

そしていつの頃からか「朝日」が無くなり現在の「香の泉」となったそうです。

写真は2014年に誕生した限定流つ銘柄「唯唯(ただただ)」。
竹内酒造株式会社|唯唯(ただただ)

竹内酒造株式会社|宮崎へべすのお酒

竹内酒造の主力銘柄は香の泉と2014年に限定流通商品として誕生した「唯唯」。

上記でも記載しましたが、香の泉が位置する石部や甲賀周辺は滋賀県の中でも特に地産地消が強く、ナショナルブランドが入ってこれなかった地域だそうです。

滋賀県全体でみたら県内の地酒の消費率は40%に満たない数字だそうですが、旧甲賀郡に関しては90%が地元の酒。

スーパーに行かない限りナショナルブランドの酒は目にしない特殊な地域だそうです。

このような地の利に恵まれているのか、地元の消費が多く、年間で約1000石の酒を製造しているとの事。

千差万別と言われる滋賀県の中で、竹内酒造が造る酒は「フレッシュでフルーティーな酒」がコンセプト。

蔵元自身が若い酒が好みだそうで、香りもあってすっと喉越しがよく、それでいて食事の邪魔をしない酒を目指されているとの事。

若い状態を維持するために、熟成を遅くさせる目的で建物には断熱材を入れ、タンクごと0度で冷やせるよう、蔵は設備を入れています。

写真の方が7代目蔵元、竹内 善彦さん。
竹内酒造株式会社|蔵元

写真は仕込み部屋。
竹内酒造株式会社|仕込み部屋

竹内酒造株式会社|仕込みタンク

仕込み部屋は上から見たらこんな感じ。見ての通り2階から櫂入れなどの作業を行います。
竹内酒造株式会社|仕込み部屋上から

竹内酒造ではかつては能登から杜氏が来ていましたが、現在では人材が多いとの理由で岩手から南部杜氏が来て酒造りをしているとの事。

酒造りに用いる米は滋賀県産の日本晴が最も多く次に玉栄や吟吹雪を使用。
県外の米は兵庫の山田錦のみ。

蔵から約1キロ離れた場所にある里山から湧く水と蔵の敷地内にある井戸水を使用。両方ともとても柔らかな軟水だそうで、この2種類の水を酒造りに使用。

里山の水はパイプで蔵までつながっているそうで汲みに行く必要はないそうです。

写真は酒母室。
竹内酒造株式会社|酒母室

写真は麹室です。
竹内酒造株式会社|麹室
地元を中心に出荷するレギュラー酒などはこちらの部屋で麹を造りますが、大吟醸酒などこだわりの酒は下記の写真の麹蓋を使用しているとの事。

竹内酒造株式会社|麹室 蓋麹

写真は槽場、床がピカピカで清潔に保たれています。
竹内酒造株式会社|槽場 圧搾機

竹内酒造株式会社|訪問の証の記念撮影
訪問の証の記念撮影。麹蓋に感心する吾郎。

地元流通が中心の香の泉ですが、2014年に限定流通商品の「唯唯(ただただ)」という新ブランドを立ち上げました。

全国市場での競争に勝つための酒質改造に向け努力している最中。

ご覧のとおり、設備も特定名称酒造りに適した大きさで、蔵も綺麗に整っていて清潔でした。

良いお酒が出来上がってくれる事を期待したいと思います。

ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。お読みになられている時には変化している事もあります。

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五人娘(ごにんむすめ)|株式会社寺田本家

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 351蔵目

五人娘(ごにんむすめ)|株式会社寺田本家

千葉県香取郡神崎町神崎本宿1964 


蔵元のサイト:http://www.teradahonke.co.jp

酒名:五人娘(ごにんむすめ)、香取(かとり) 
■創業:延宝年間(1673〜81年)24代 ■杜氏:社員杜氏(諸派) ■仕込み水:弱硬水 ■訪問日:2014/02/07
 
代表銘柄

五人娘 純米酒
菩提もと仕込み 醍醐のしずく
発芽玄米酒 むすひ


東京から電車で約1時間40分の距離に位置する下総神崎。

江戸時代には利根川の水運と米の産地であった事から周囲には沢山の酒蔵が存在するほど栄えていたというこの地は現在は静かな地方の町。

下総神崎駅から車で約10分の場所に位置する場所に、旧家の佇まいを残す蔵が今回の訪問先である寺田本家です。
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五人娘(ごにんむすめ)という名の酒を造る株式会社寺田本家は、延宝年間(1673〜81年)に創業した現在で24代続く酒蔵です。

創業者の名前は忠兵衛といい、近江国からこの地に移住してきたと伝えられています。
香取は米どころであり、仕込み水にも恵まれ、利根川の水運があった事から栄えていたそうなので、この地に根を下ろしたのではないでしょうか?

古くは「菊の友」の酒名で酒を造っていたそうですが、その後「香取」という酒名に変わり、現在の主力銘柄「五人娘」が誕生したのが先代である23代目が当主をしていた昭和63年。

五人娘(ごにんむすめ) 株式会社寺田本家|外観

先代(23代目)の時代には大量生産の酒を造っていたそうですが、儲けが出ず先代が病気で倒れ一時期は廃業寸前にまで陥ったそうですが、その病がきっかけとなり酒造りを改めます。

病に伏せ天井を見ながら「自分の酒造りは儲かればいいという事しか考えてこなかった。酒とは微生物の力によって発酵して出来上がってくるもの。自分の酒造は欲しかなかった。」という事を考えたそうです。

そして病気から回復した後、今後の身の振り方をどうしようかと、思想家の常岡一郎氏という方に相談したところ「あなたのお酒は人に役に立っていますか?」と問いかけられます。

人の役に立つ酒とは何か?を考えた結果、酒は百薬の長と言われ、健全に発酵をしているモロミは腐りません。暴飲暴食をし身体を壊してしまうような酒ではなく、自然の力で発酵させた百薬の長というべき身体に良い酒を造れば、人々のお役に立てるのではないか?を考えます。

そうして昭和63年に誕生した酒名が「五人娘」でした。

酒名の由来ですが、寺田本家は何故か女性ばかり生まれる女系の蔵で、先代も現当主もいずれも婿入りした方が蔵の当主になっています。

先代が新しい酒名を考えていたときに、20代目蔵元の時代に懇意があった歌人の土屋文明氏に相談。
すると土屋氏はこの蔵に最初の訪れた際に娘が多いことに驚いたそうで、娘が5人もいたのかどうか正確な事は聞いていないので不明ですが、とにかく沢山娘がいたことから五人娘という酒名が誕生したとの事。

その後、酒造りの原点にもどり自然のバランス・恵みのなかで商いをする。
微生物が主役の酒造りをしようと決断。
そうして昔の酒造の手法に舵を切り始めます。

五人娘(ごにんむすめ) 株式会社寺田本家|井戸

昔の酒造は分析する道具もなければ温度計も電気もありません。
それでも酒を造ることが出来ていました。

それが文明化されて、酒造がマニュアル化されて来たわけですが、本来の酒造とは微生物の力で発酵を行っていいたわけです。

微生物はどこにでもいて、目には見ませんが環境を整えてあげるとタンクの中に降りてきて発酵を始めます。

微生物が居心地よく発酵できる場所作りを行うため、当時は安い米を仕入れて醸造アルコール、糖類、旨味調味料などを添加していたそうですが、それらを止め、無農薬の米を仕入れ何も添加しない純米酒「純米 五人娘」を造りを始めます。

当時はまだ純米酒を造っている蔵は少なかった時代だったそうです。

五人娘(ごにんむすめ) 株式会社寺田本家|煙突

そうして出来た純米酒ですが、酸味が強く色も黄色みがかかっていて、従来の酒と比べると変わった味だったそうです。

そのため地元の方からそっぽを向かれ、純米酒造りを開始して3年間くらいは売れなかったそうです。

いよいよダメかな?と思っていた時、自然食品をしている店が「味はともかく、良い造りをしている酒だからこの酒を広めよう」と名乗りをあげたそうです。
それからジワジワ売上を増やし起動に乗って行きます。

その後は機械をひとつひとつ廃止し手造り化を進め、昔の人が醸したお酒に近づける方向に進んでいきます。

写真の方が24代目蔵元、寺田 優(まさる)さん。
五人娘(ごにんむすめ) 株式会社寺田本家|24代目当主 寺田 優さん

寺田 優さんは大阪府堺市出身で1973年生まれの41歳。
関東の大学に進学しレストランでアルバイトをしていた時に、後に奥様となる寺田本家23代目のお嬢様と出会われたそうです。

大学を出て社会人となった後、農業をしたいと思うようになり、23代目のお嬢様のお誘いもあり婿入りされたとの事です。

写真は釜場です。
五人娘(ごにんむすめ) 株式会社寺田本家|釜場
蔵にはシューターが無く、こしの上に乗っている木の桶で米を運搬していました。

甑(こしき)は木を使用。
五人娘(ごにんむすめ) 株式会社寺田本家|釜場
寺田本家では昔の酒造り化を進めるべく、可能な道具から昔の物を使うようにしているとのこと。

写真は仕込み部屋。
五人娘(ごにんむすめ) 株式会社寺田本家|仕込み部屋
蒸し米は全量この部屋に手作業で運搬。結構たいへんだと思いました。

酵母は無添加、蔵に自然に降りてくる酵母のみ。 五人娘(ごにんむすめ) 株式会社寺田本家|仕込みタンク
仕込みタンクもゆくゆくは木桶を使いたいそうですが、木桶を造る職人が少ないの新しく木桶を揃えるのが困難との事。

五人娘(ごにんむすめ) 株式会社寺田本家|麹室

五人娘(ごにんむすめ) 株式会社寺田本家|麹

写真は酒母室です。
五人娘(ごにんむすめ) 株式会社寺田本家|酒母室

酒母は乳酸菌を用いない生もと造りが基本。
もとすりでは歌を歌いながら時間を計っているそうで、見学した日は若い蔵人の一人が歌ってくれましたがとても上手でした。
五人娘(ごにんむすめ) 株式会社寺田本家|記念撮影
訪問の証の記念撮影。

私が興味深く、もとりの棒を見ていたら蔵元が「写真をとりたいんでしょう」と声をかけてくれたのでお言葉に甘えて、撮影していただきました。

寺田本家では蔵見学の日が設けられていて、蔵に電話すると予約が出来ます。
一般の方でも大歓迎で、この日は麹室のなかまで入れてもらえました。
とても綺麗で感じのよい蔵です。蔵見学にお勧めします。

ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。

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仁勇(じんゆう) 不動(ふどう)|鍋店(なべだな)株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 350蔵目

仁勇(じんゆう) 不動(ふどう)|鍋店(なべだな)株式会社

 千葉県香取郡神崎町神崎本宿1916 


蔵元のサイト:http://www.nabedana.co.jp/

酒名:仁勇(じんゆう)、不動(ふどう) 
■創業:元禄2年(1689年)19代 ■杜氏:社員杜氏(諸派) ■仕込み水:弱硬水 ■訪問日:2014/02/07

代表銘柄

不動 吊るし 無濾過純米吟醸 生原酒
仁勇 特別純米 神崎蔵
仁勇 とろり酒


千葉県香取郡神崎町、利根川のほとりに位置するこの地は気候がよく米の産地であり水運が便利であった事から古くから酒造りが盛んだった土地。
かつては神崎町だけで5件ほど酒蔵があったそうですが今でも2軒の酒蔵が酒造りを続けています。

その1社が仁勇(じんゆう) 不動(ふどう)という酒を造る鍋店(なべだな)株式会社です。
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鍋店(なべだな)株式会社は1689年(元禄2年)源五右衛門氏が佐倉藩より1050株の酒造株を預かり創業した現在で19代続く酒蔵です。

江戸時代、金属は有事の際には武器製造に欠かせかった為、鍋であっても金属を扱う商売は「座」という制度に組み込まれていて、信用のある人しか「鍋座」の権利を持つ事が出来なかったそうです。

源五右衛門氏は、酒造業を行う以前は鍋座の権利を持ち鉄の鍋や釜を扱う商いをされていたその事。
老舗の事を「お店(おたな)」呼ばれていた事から鍋店(なべだな)と呼ばれていて、それが蔵の名前として引き継がれています。

明治から大正時代に創業する蔵はとても多く、あと逆に関ヶ原の戦いが終わった江戸初期頃に酒造りをされる蔵もまたに見ます。 江戸中期頃に藩から株を与えられ酒造業を開始する蔵というのは珍しい存在だと思います。

仁勇(じんゆう) 不動(ふどう) 鍋店(なべだな)株式会社|古い看板
創業当初は神埼ではなく成田山門前で酒造りを開始。
市川団十郎によって成田山新勝寺への参拝客が飛躍的に伸びる事で商売は発展。
天明年間には1000石を達成します。

当時は水道もボイラーもポンプも無い時代。
この時代は一つの蔵の製造能力は1000石が限界だったそうで、そうとう繁盛した事が伺えます。
現在でも本社は成田山の門前にありますが、その周囲にも土地があり酒造りを行っていたそうです。

老舗の大店であった為か、他の蔵との交流範囲も広く醤油のキッコーマン、広島の白牡丹、山梨の笹一酒造とも遠縁にあたるとの事。

蔵は更に商いを広げるべく明治32年に神埼に蔵を新設。
明治42年には灘も蔵を設け、最盛期には成田、神埼、灘、印西に4つの酒蔵を持っていたとの事。

古い銘柄としては「蓬莱山」。
「香神」は香取郡神崎町に蔵を建てた際に、その蔵で造られた酒の銘柄。
現在の主力銘柄の一角、「仁勇」は灘の蔵で造られた酒の銘柄。
印西の蔵では利根正宗よいう酒を造られていたそうです。

しかし第二次大戦の企業整備令によっひとつに集約するように迫られます。
その結果、土地が多く水が良い神埼が製造拠点となり今に至ります。

酒名、仁勇は「人は人徳と勇気持って生きるべし」という家訓から命名。 仁勇(じんゆう) 不動(ふどう) 鍋店(なべだな)株式会社|看板

写真は窯場です。
仁勇(じんゆう) 不動(ふどう) 鍋店(なべだな)株式会社|釜場
製造は10月中旬頃より開始し3月中旬頃まで。
年間で約5000石の酒を製造。

千葉県下で製造する日本酒の量としてはダントツの1位。
関東全体でも3位に入る規模との事。

昔ながらの出稼ぎによる杜氏制度を脱却し、社員による酒造りが行われています。
しかし工場長は日本杜氏協会から杜氏の免許を与えられており、蔵人たちも南部杜氏の勉強会に参加されているとの事。

写真は蒸米。 仁勇(じんゆう) 不動(ふどう) 鍋店(なべだな)株式会社|蒸し米
酒造りに主に用いる米は、秋田県湯沢市の酒米研究会が育てる秋田県産の酒こまち美山錦が中心。
秋田の米を使う理由として、米の質が安定している点と安定供給できる事。
年間5000石以上製造するには、米の安定供給が必要になります。
米の品質が不安定だと酒の味が変る為、一定以上の生産量があり品質が安定している米という点で、湯沢の米が選ばれたとの事。

もちろん地元産の米も使用されています。
仁勇(じんゆう) 不動(ふどう) 鍋店(なべだな)株式会社|商品
写真の真ん中の酒は神埼産「総の舞」で造られた生粋の神崎産純米酒です。

写真は蔵自慢の麹室。
仁勇(じんゆう) 不動(ふどう) 鍋店(なべだな)株式会社|麹室

仁勇(じんゆう) 不動(ふどう) 鍋店(なべだな)株式会社|麹
一般的に麹作りは、大きな箱よりも小さな麹蓋で造る方が良いと言われています。
しかしこの蔵では、必ずしもそうではないという考え方をされていて、写真のような大きな単位で麹造りをされています。
この造り方でも麹蓋に勝る良い数字の麹を造ることが出来ているとの事。
蔵人の語り口調から麹作りにはかなり自信があるように感じました。

写真は仕込み部屋。
仁勇(じんゆう) 不動(ふどう) 鍋店(なべだな)株式会社|仕込み部屋_上から
仕込み部屋の一部は昔ながらの建物の中で造られています。

仕込み部屋をしたから見たところ。
仁勇(じんゆう) 不動(ふどう) 鍋店(なべだな)株式会社|仕込み部屋_下から

仁勇(じんゆう) 不動(ふどう) 鍋店(なべだな)株式会社|作業風景

鍋店では現在「仁勇」と「不動」の2銘柄の酒を製造されています。
数量的には仁勇の製造量が多く、杜氏制度から社員で酒造りを行うようになった当初は、出来るだけ綺麗な酒、新潟の酒に近づけたいという事でスタートしたそうです。
しかしお酒の味が面白くないことから、もっと味と香りを強調しようと出来た酒が限定流通の「不動」。

この不動がとても良い酒で、私は千葉の酒メッセで初めて不動に出会ったのですが、その美味しさには驚きました。

会場で知っている日本酒ファンと出会ったのですが、どこが一番美味しい?との質問に迷わず返ってきた答えが「不動」。
ブースは常に人だかりでした。どこかで目にした際はお薦めするお酒です。

最後に訪問の証の記念撮影。
仁勇(じんゆう) 不動(ふどう) 鍋店(なべだな)株式会社|記念撮影
「とろり酒」を試飲。その個性的な美味しさに驚く吾郎。

日本酒度?90、もち米4段仕込みの濃厚甘口にごり酒。
仁勇(じんゆう) 不動(ふどう) 鍋店(なべだな)株式会社|商品

火入れと生酒の2種類あり、蔵が日本一甘い酒と自負するお酒です。

鍋店では清酒の製造期間にあたる10月中旬以降から3月従順頃まで蔵見学が可能。

また限定流通ブランド「不動」は、日本酒ファンの間ではまだ知られていませんが間違いなく注目銘柄。今後が期待できす蔵元です。

ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。

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峰の雪(みねのゆき)|有限会社峰の雪酒造場

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 347蔵目

峰の雪(みねのゆき)|有限会社峰の雪酒造場

福島県喜多方市桜ヶ丘1丁目17番地


蔵元のサイト:http://minenoyuki.com/

酒名:峰の雪(みねのゆき)、花織(かおり) 
■創業:昭和17年(1942年)4代 ■杜氏: 蔵元杜氏(諸派) ■仕込み水:軟水 ■訪問日:2013/11/29

代表銘柄

峰の雪 純米 醇
峰の雪 yamatoya’s zennai(ヤマトヤゼンナイ)
会津のはちみつ酒 美禄の森


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有限会社峰の雪酒造場は昭和17年に、佐藤信八氏が創業した現在で4代続く酒蔵です。

会津若松の酒蔵に生まれた信八氏は、喜多方にあった大和錦という蔵に婿入りされ、その大和錦から分家をするという形で昭和17年に現在の場所に誕生。

当時は大和錦第2工場という存在で、本家である大和錦は地元向けの酒を製造・販売し、こちらは東京向けに製造・販売していた「峰の雪」という酒を製造されていたそうです。

本家になる大和錦という蔵は、今から10代ほど前に大和川酒造から分家独立して出来た蔵とのこと。なので遠いルーツは1600年頃に奈良から製綿の技術を持って会津に移り住んできた綿商人のようです。

昭和30年に法人化し、有限会社峰の雪酒造場に社名変更。
大和錦の第2工場という存在から独立した蔵へと変化していきます。

写真の方は4代目蔵元、佐藤健信(けんしん)さん。
峰の雪(みねのゆき) 有限会社峰の雪酒造場|佐藤健信蔵元

峰の雪では東京に出荷する酒を専門に製造していたという経緯から今でも最も製造量が多いレギュラー酒(普通酒)は地元では殆ど販売しておらず東京を中心に出荷されているとのこと。

ただ普通酒の需要が年々減少しつつあり、それではいけない、と健信(けんしん)さんの代から特定名称酒の製造に着手。

健信さんは6年間、新潟の酒蔵で酒造りや営業等の仕事をされた後、2010年に蔵に帰って来られます。
その後、福島県の日本酒関係者の多くが通う清酒アカデミーに3年間通い2013年の3月に卒業。

一定期間、越後杜氏の下で酒造りをした実務経験があるため、越後杜氏組合に入る資格を持っているものの流派としては無所属。

現在は、峰の雪 純米吟醸、純米酒 醇、ヤマトヤゼンナイという名称の特定名称酒を地元を中心に製造・販売されています。

一般的には普通酒が地元で特定名称は首都圏、という蔵が多いのですが、峰の雪はその逆。
地元には特定名称酒、首都圏は普通酒が売れているという、珍しい現象が起きています。

峰の雪(みねのゆき) 有限会社峰の雪酒造場|商品

東京市場に酒を売っていたという経緯から、元々造られていた酒は淡麗辛口の酒だったそうです。

それに対し、今展開中の特定名称酒は「飲んで峰の雪とわかる酒」を目指されているとのことです。

健信さんは様々な日本酒を飲まれた結果、甘いお酒が好きだそうで、飲みやすい酒質が第一条件である中、「甘くて旨い酒」を造ることを目標とされているそうです。

お酒は嗜好品です。人それぞれ好みが違うものです。
10人が飲んで10人近くが美味しいと言ってくれる酒ではなく、10人が飲んで5人から美味しくないと思われても、一人がドハマりしてしまう酒。
そういう酒を造っていきたいとの事です。

写真は釜場。
峰の雪(みねのゆき) 有限会社峰の雪酒造場|釜場

写真は麹室。
峰の雪(みねのゆき) 有限会社峰の雪酒造場|麹室

写真は仕込み部屋。
峰の雪(みねのゆき) 有限会社峰の雪酒造場|仕込み部屋

写真は、はちみつを原料に醸造したミードと呼ばれる酒。
峰の雪(みねのゆき) 有限会社峰の雪酒造場|はちみつのお酒
峰の雪は日本酒以外に「ミード」と呼ばれる、はちみつを発酵した酒を製造されています。

これはリキュールではなくきちんと醗酵させて醸造しているお酒です。
ミードはクレオパトラの時代から製造されていた、と伝えられている世界最古のお酒です。

はちみつを水で薄めて、酵母を入れれば糖分は十分にあるため、発酵が始まるそうです。
アルコール度数は約10度。

オリを取るために上澄みだけを抜いてフィルターで濾すとの事。

5年前に製造を始められたそうで、同時期に石川県の天狗舞でもミードの醸造を開始。
その他にも高知県の菊水酒造が製造。判っている範囲では国内で3社しか造っていないそうです。

最後に訪問の証の記念撮影。
峰の雪(みねのゆき) 有限会社峰の雪酒造場|記念撮影
不思議な甘さがする酒、ミードに感心する吾郎。

最近、福島県から若手の酒蔵の台頭が目立っていますが、蔵に帰ってきて3年目という健信さんが造る峰の雪もそんな新進気鋭の一社。

今はまだ知られていない存在ですが、いずれ全国の地酒専門店で目にするような銘柄になるのは時間の問題かと思われます。
日本酒ファンの皆様、要注目のお酒です。

商品の購入・質問は峰の雪(みねのゆき)|有限会社峰の雪酒造場へお問い合わせ下さい。
TEL:0241-22-0431峰の雪、善内、花織、美禄の森醸造元有限会社峰の雪酒造場
ここに書かれているデータは筆者が訪問した時点の情報でございます。

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奈良萬(ならまん)|夢心酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 346蔵目

奈良萬(ならまん)|夢心酒造株式会社

福島県喜多方市字北町2932 


蔵元のサイト:http://www.yumegokoro.com/index01.html

酒名:奈良萬(ならまん)、夢心(ゆめごころ) 
■創業:明治10年(1877年)6代 ■杜氏:社員杜氏(諸派) ■仕込み水:軟水 ■訪問日:2013/11/29

代表銘柄

奈良萬 純米吟醸
奈良萬 純米生酒 無濾過生原酒
夢心 会津金印

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夢心酒造株式会社は明治10年(1877年)に東海林萬之助(しょうじまんのすけ)氏が創業した6代続く酒蔵です。

萬之助氏は11代続いている東海林家の6代目で、家は土建業(今で言うゼネコン)のような仕事をされていたそうで、道を作った時に、代金は山など土地で頂いていたそうです。

そんなことから代々、土建業で得た土地を含め資金があり、明治の免許緩和の際に酒造免許を手に入れて酒造業に参入されたのではないかとのことです。

創業当時の屋号は「奈良屋」。
喜多方には奈良萬を含め大和川、香具山、大和錦など奈良に関する酒名の酒が多く、蔵元に屋号の由来を質問してみましたが、今ではわからないそうです。

後日、大和川酒造の9代目蔵元、佐藤彌右衛門氏にきいたところ、奈良の大和川沿いでは綿花の栽培と製法の技術を持った人々が住んでいて1600年代に奈良から会津へ移住してきた人がいたとのこと。
そういう人が複数いたのか、分家を続けて広がったのかはわかりませんが、喜多方に奈良にゆかりのある蔵元が多いことには、そういう背景があるようです。 

現在の酒名「夢心」は酒造業を創業した萬之助氏の息子、萬次郎氏の時代に誕生した銘柄。
萬次郎氏の夢枕に神様が立って酒名に「夢心とつけなさい」と言われた、というのが酒名誕生の由来だそうです。

写真の方は6代目蔵元、東海林伸夫さん。
奈良萬(ならまん) 夢心酒造株式会社|蔵元
そして、もう一つの主力「奈良萬」は6代目蔵元の代に誕生した銘柄。

先代から学校卒業後は「2年間だけ自由にさせてやる」と言われ、写真が好きだった伸夫さんは写真関係の会社で働かれたそうです。
1995年、蔵に戻ってきた当時は普通酒を中心に約1万石を製造する蔵だったそうです。

しかし、 普通酒がどんどん縮小していく時代。
生き残るために、当時売れていた有名地酒などを参考に、きっちりと日本酒を販売する専門店に限定し出荷する商品、奈良萬を立ち上げます。

地酒業界が純米方向に流れつつあると感じ、奈良萬ブランドに関しては全量純米です。
地元向けの夢心ブランドと、限定流通の奈良萬の2つのブランドで展開されています。

写真は釜場。
奈良萬(ならまん) 夢心酒造株式会社|釜場

酒の造り手ですが、かつては越後杜氏が酒造りをされていたそうです。今はその流れを汲んだ社員によって造られています。

仕込み水は飯豊山(いいでさん)の伏流水。
扇状地である喜多方の地下を流れる飯豊山の伏流水は、100年かけて地下に染みこんだ軟水で、出来上がるお酒は自然とまろやかになるとのことです。

写真はKOS製麹機。
奈良萬(ならまん) 夢心酒造株式会社|KOS製麹機

写真は仕込み部屋を上から撮影したもの。
奈良萬(ならまん) 夢心酒造株式会社|仕込み部屋 上から

で、こちらは仕込み部屋を下から撮影。OSタンクが使用されています。
奈良萬(ならまん) 夢心酒造株式会社|仕込み部屋 下から
醸造設備は山形の酒蔵、大山が設計したOSタンク、KOS製麹機が使われていました。

造りのスタートは10月中旬からで、甑倒しは2月中旬。 3月には製造が終わり、年間で約2千石の酒を製造されているそうです。

酒造りに用いる米は奈良萬に関しては全て五百万石。
夢心も普通酒には地元のチヨニシキを用いますが、概ね地元産の五百万石が中心。
山田錦は殆ど使われないそうです。

というのは平成の初め頃、YK35(山田錦、9号酵母、35%精米)が鑑評会を席巻していた時代、夢心酒造では五百万石で3年連続全国新酒鑑評会で金賞を受賞した事があったそうです。

五百万石でも山田錦と同等の評価が得られるお酒を造ることが出来た自信から、地元産の五百万石を中心に用いられているとのことです。

特に奈良萬に関しては全量が五百万石。
他社では米違いによって酒のレパートリーを広げられている蔵が多いかと思われますが、奈良萬では製造手法を変えることでレパートリーの幅を広げています。

例えば火入れ方法や搾り方の違いで、生・おりがらみ・1回火入れビン貯蔵、生貯蔵、冷やおろしのような生詰め・2回火入れ。と一つの醪(もろみ)から6種類のお酒を造り分ける事が出来ます。

それぞれ味が異なるため、蔵元の話によると単一の米でも味のレパートリーを広げることが出来るそうです。

訪問の証の記念撮影。
奈良萬(ならまん) 夢心酒造株式会社|記念撮影
奈良萬を手に取り笑顔になる吾郎。

バラエティーに富んだ福島県の地酒の中、夢心酒造が目指すのは「本物の喜多方の酒」。
原材料は全て地元産、酵母も福島県で造られた「うつくしま夢酵母」、喜多方の水を用いた喜多方でしか醸すことが出来ない酒。

綺麗で、味わい、切れがあり、ずっと飲んでいられる酒。
華やかなお酒ではなく、穏やかな香りの食中酒。

喜多方・会津でお酒を売っているお店には、必ずと言って良い程夢心が並んでいます。
蔵元は地元では普通酒を一生懸命売っていき、県外には本物の喜多方の地酒を広めていきたいとのことです。

喜多方に沢山ある酒蔵の中でも、奈良萬は首都圏を始め全国の日本酒市場で名が知られるようになった存在です。
訪問して改めて思ったのですが、今度居酒屋などで見掛けた際は、食事と一緒にゆっくり楽しんでみたいと思いました。

商品の購入・質問は奈良萬(ならまん)|夢心酒造株式会社へお問い合わせ下さい。
TEL:0241-22-1266奈良萬、夢心醸造元夢心酒造株式会社
ここに書かれているデータは筆者が訪問した時点の情報でございます。

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蔵枠(くらしっく)|小原酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 345蔵目

蔵枠(くらしっく)|小原酒造株式会社

福島県喜多方市南町2844 


蔵元のサイト:http://www.oharashuzo.co.jp/

酒名:蔵枠(くらしっく)、國光(こっこう) 
■創業:享保2年(1717年)10代 ■杜氏:社員杜氏(諸派) ■仕込み水:軟水 ■訪問日:2013/11/28

代表銘柄

蔵粋 アマデウス 特別純米酒
蔵粋 純米アリア
蔵粋 純米協奏曲


蔵とラーメンの街、福島県喜多方。
会津若松と米沢を結ぶ街道として栄え、広大な盆地から豊富に穫れる米と、飯豊山系の地下水が豊富であることから、今でも8社の酒蔵が存在しています。

その中の1社、徳川吉宗が将軍だった享保時代から続く300年近い歴史を持つ蔵が小原酒造株式会社です。

DSC_cla0145.jpg
小原酒造株式会社は享保2年(1717年)に小原嘉左衛門(おはらかざえもん)氏が創業した10代続く酒蔵です。

創業者がどういう経緯から酒造業に参入したのかは分かりません。
かつての屋号は山形屋と言い、味噌や醤油なども取り扱われていたようで、酒造業は事業の中の一つという位置付けで行われていたそうです。

蔵に残る大正時代に撮られた写真によると「國光(こっこう」「イチマル」という酒名の酒を造っていたことが分かります。 また杜氏の隣には大きな犬が写っていて、蔵元の話によると杜氏は飼っている犬まで連れてきていたとのことです。

かつての杜氏は蔵人はもとより、ご飯を炊いたり洗濯したりする人まで引き連れて蔵に来ていたという話を聞いたことがありますが、飼っている犬まで連れて来たという話は初めて聞きました。

蔵枠(くらしっく) 小原酒造株式会社|釜場

現在の代表銘柄、蔵枠(くらしっく)は平成元年に誕生したモーツアルトを聴かせて醗酵させたお酒です。

蔵元が昭和62年に東京の滝野川にあった醸造試験所で勉強をされていた時、第6研究室というところで酵母の実験が行われていたそうです。

酵母に紫外線を当てたり超音波を当てたりして、突然変異が起こらないかという実験をしていたのですが、耳に聞こえない音ではなく聞こえる音でも実験してみようと、酵母に様々な音を当てて醗酵させてその結果を調べることになったそうです。

ノイズ、クラシック音楽など様々な音を当てて酵母の死滅、増殖速度のデータを取ったところ、クラシックを掛けたグループ(バッハ ベートベン モーツアルト)の酵母が増殖において最も良い数字が出たとのことです。

次に実際の仕込みのサイズでクラシックのグループだけに同様の実験したところ、モーツアルトを聞かせた醪の酵母の増殖速度が最も早く、香りも綺麗な酒が出来たという実験結果を知り、モーツアルトを聴かせて醗酵せる酒の製造を考えます。

しかし、そんな蔵元の考えに周囲は反発。
当時は、南部杜氏が酒造りをされており、杜氏が「クラシック音楽なんかが流れていたら気になって仕事の邪魔になる。演歌だったらいいけど」と言われたとか。

そういう杜氏を説得し、平成元年に本醸造のタンク1本だけにモーツアルトを聴かせて発酵させた酒、蔵枠(くらしっく)ブランドが誕生します。
同時に、地元レギュラーの國光など全製造を特定名称酒にスペックアップされました。

この酒を売り込もうと、蔵元は問屋まわりをしたのですが、当時の日本酒業界はリベート・条件が幅を利かせていた時代。
蔵元はクラシック音楽を聴かせた酒は、リベートや条件を出さずに販売する方針でいた為、問屋まわりをして売り込んでも相手にされなかったそうです。

しかし、吟醸酒ブームが起こり、「良いお酒があれば持って来て下さい」と言ってくれる小売店が現れるようになり、地酒の販売にやる気のある小売店から注文が入るようになったとのことです。
そして翌年には「純米を造って欲しい」「吟醸は無いのか?」などのリクエストに応える形でラインナップを増やし、やがて蔵の主力銘柄に変わっていったそうです。

その後2009年には全量純米化。
地元レギュラー酒も純米化したので、國光 純米酒は一升瓶で1943円とお買い得です。

写真は麹室の外観。
蔵枠(くらしっく) 小原酒造株式会社|麹室の入り口
外がレンガで覆われた麹室です。
古い酒造りの様子が描かれた絵を見ると、麹室は土壁で覆われていますが、明治から大正、昭和初期には外をレンガで覆った麹室があったようです。
古い建物をそのまま使っている蔵に行くと、時々、レンガ造りの麹室を見ることが出来ます。

蔵枠(くらしっく) 小原酒造株式会社|麹室

写真は仕込み部屋。
蔵枠(くらしっく) 小原酒造株式会社|仕込み部屋

蔵枠(くらしっく) 小原酒造株式会社|槽場
仕込み水は飯豊山の伏流水です。 喜多方は扇状地になっており、約100年の年月を掛けて地下を通ってきた水は軟水です。

使用する米の殆どは兵庫の山田錦。
一部、実験的に敢えて精米を控えた75%精米のひとめぼれを使用。(蔵枠 純米アリアという酒)

一番たくさん売れている酒は蔵枠 特別純米 アマデウス。山田錦60%精米で価格は一升瓶で2050円(税抜き)。

福島県の会津地方は昔から少し甘い酒が好まれていた地域と言われていますが、蔵元が目指す酒はそんな郷土の味とは間逆な淡麗辛口の酒。スーッと水のように飲めて、さらっとした辛口のお酒を目指されているとのことです。

その理由は滝野川の試験場で勉強していた時、全国の酒を買い集めて試飲された際に、関西の蔵の酒で、スッと水のように飲めるさっぱりした酒があり、蔵元はその味に感動されたそうです。
それがきっかけとなり、スッと水のように飲めるさらっとした純米の酒を造っていきたいと思うようになられたとのことです。

最後に訪問の証の記念撮影。
蔵枠(くらしっく) 小原酒造株式会社|記念撮影
蔵の主力アイテム、蔵枠 純米 アマデウスに驚く吾郎。

当初、本醸造でスタートした蔵枠 アマデウスですが2009年以降、純米酒となり値段は一升瓶で2050円(税抜き)という低価格。

全体的に一升瓶で2千円前半のお酒が多く、日本酒ファンには魅力的な商材かなと思いました。
気になって酒屋で1本買って帰りましたが、飲み応えがありつつも切れの良いお酒だと感じました。
肩肘張らずに楽しむ日常酒としてお勧めの日本酒です。

商品の購入・質問は蔵枠(くらしっく)|小原酒造株式会社へお問い合わせ下さい。
TEL:0241-22-0074蔵枠、國光醸造元小原酒造株式会社
ここに書かれているデータは筆者が訪問した時点の情報でございます。

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弥右衛門(やうえもん)|合資会社大和川酒造店

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 344蔵目

弥右衛門(やうえもん)|合資会社大和川酒造店

福島県喜多方市字寺町4761


蔵元のサイト:http://www.yauemon.co.jp/

酒名:弥右衛門(やうえもん)、大和川(やまとがわ) 
■創業:寛政2年(1790年)9代 ■杜氏:社員杜氏 ■仕込み水:軟水 ■訪問日:2013/11/28

代表銘柄

カスモチ原酒 弥右衛門酒
純米大吟醸 酒星眼回
純米大吟醸 大和川 四方四里 身土不二


合資会社大和川酒造店は江戸時代中期、寛政2年(1790年)に佐藤彌右衛門(さとうやうえもん)氏が創業した現在で9代続く酒蔵です。
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写真は平成2年に建てられた飯豊(いいで)蔵。

彌右衛門氏の祖先は1600年代に奈良から会津へ移り住んだと言われています。

奈良県を流れる大和川は度々氾濫し、流域に被害をもたらし、その度々に治山・治水が行われ、新しく出来た土地には綿の木を植え、綿花から綿を紡いだそうです。 その結果、大和川流域には綿の木の栽培と製綿の技術が蓄積されていき、その技術を持った人々が会津に渡って来たと言われています。

彌右衛門氏の祖先もそのうちの一人ですが、国替えで藩主に付いて行ったのか、技術者として会津に来たのかは分かりません。
喜多方の北にある松山町村松という場所で製綿業を営みます。
その家に生まれたのが彌右衛門氏ですが、長女が婿を取って家督を継いだ事により分家。
1770年頃に現在、北方風土館が建つ寺町にて綿業を始めたそうです。

この寺町という場所は越後北街道の要所、更には米の流通地だったそうで、この地での商いの実績が買われ、本家の信用力もあって1790年(寛政二年)に会津藩から酒箒(さけほうき)[酒造免許]を頂き酒造業を始めます。

酒箒(さけほうき)とは酒林の事を意味しますが、会津藩では酒造株の事を「酒箒」を表現していたようで、蔵元の話によると、蔵に残る会津藩の許可証にも「酒箒(さけほうき)」と記されているとの事。

創業当初の屋号は「大和彌」と言い、この名前は明治の中期まで続き、その後は「大和川」となります。

彌右衛門氏が生まれた本家はその後の世代でも分家が続き、その分家からも分家が生まれ、香久山、天香、大和錦、峰の雪、花錦といった銘柄が誕生したそうです。しかし現在、残っているのは大和川酒造と峰の雪の2社のみです。

左端の酒「カスモチ原酒 弥右衛門酒」がこの蔵の看板商品。
弥右衛門(やうえもん) 合資会社大和川酒造店|商品
この蔵の看板銘柄「カスモチ原酒」は明治時代から地元の人から重宝されてきた、麹歩合の高いコクのある甘口酒。

カスモチのカスとは醪(もろみ)のことで、モチは(もたせる)という意味です。つまり、醪を長く持たせる(醪を長期醗酵させる)ということです。

第二次大戦中はコメ不足により製造を休んでいたものの、昭和36年に「伝家のカスモチ原酒 彌右衛門酒」として復活。

昔からのファンに愛飲され、「糖類を使わない酒としては、日本で一番甘い」という個性豊かな酒として現在もなお人気の商品です。

かつては、このカスモチ原酒のみを製造していた時期があったそうなのですが、今では大和川、弥右衛門、酒星眼回(しゅせいがんかい)、良志久(らしく)の4ブランドを展開。濃醇甘口なお酒だけではなく、さっぱりした辛口のお酒まで味のレパートリーを増やされています。

弥右衛門(やうえもん) 合資会社大和川酒造店|弥右衛門

酒星眼回は、北方風土館でしか買えないお酒です。ラベルは小川芋銭の絵が描かれています。
弥右衛門(やうえもん) 合資会社大和川酒造店|酒星眼回

弥右衛門(やうえもん) 合資会社大和川酒造店|展示館

かつて蔵があった建物は、北方風土館として古い酒造道具や資料の展示、お酒の試飲販売などが行われています。

弥右衛門(やうえもん) 合資会社大和川酒造店|売店

写真は北方風土館から車で約5分の場所に位置する飯豊(いいで)蔵の釜場。
弥右衛門(やうえもん) 合資会社大和川酒造店|釜場

蔵は昭和62年(1987年)に新蔵建設のため2600坪の土地を購入。
3年後の平成2年(1990年)に、当時最新鋭の設備を持つ飯豊(いいで)蔵が完成します。
外観は和風建築物ですが鉄筋の3階建て。

写真はKOS製麹機。
弥右衛門(やうえもん) 合資会社大和川酒造店|KOS製麹機

製麹機とは別に杉張りの麹室もあります。
弥右衛門(やうえもん) 合資会社大和川酒造店|麹室

写真は酒母室。
弥右衛門(やうえもん) 合資会社大和川酒造店|酒母室

写真は仕込みに使われるOSタンク。
弥右衛門(やうえもん) 合資会社大和川酒造店|仕込み部屋 OSタンク

槽場は空調が効く個室に圧搾機が2機、置かれていました。
弥右衛門(やうえもん) 合資会社大和川酒造店|槽場

毎年10月初旬より造りを開始。
3月中旬に甑倒しが行われ、全て搾り終えるのが4月中旬。
年間で約1300石の日本酒を製造しています。

原料米については、喜多方市内にある約14町の自社田で自社栽培している夢の香、五百万石、雄町、山田錦をメインに使用。
飯豊山の伏流水(軟水)が豊富で、全量地下水による仕込みが行われています。

10年前ほどまでは越後杜氏が来て酒造りをされていたそうですが、今は現蔵元の弟さんが杜氏となり酒造が行われているとのことです。

醸造設備は山形の酒蔵の大山が設計したOSタンク、KOS製麹機が置かれていましたが、それとは別に、昔ながらの麹室もあり、近代設備の良さと昔ながらの手造りの良さの両方を残した蔵です。
どのフロアも床がピカピカでとても近代的かつ衛生的に感じました。

最後に訪問の証の記念撮影。
弥右衛門(やうえもん) 合資会社大和川酒造店|記念撮影
蔵の代表商品、カスモチ原酒 弥右衛門酒に注目する吾郎。

実は甘口のお酒も好きで、独特の甘みを持つと言われるカスモチ原酒にとても興味があります。

ネットが普及する以前は、貴醸酒や全麹仕込みによる濃醇甘口の酒とは早々に出会える事が無く、飲む機会が少なかったのですが、ネットが普及した今では以前よりは比較的簡単に手に入れられる時代になりました。

そうなると、単に甘い酒というだけではなく、そこから更に一歩踏み込んだ個性的な甘さが求められるようになります。

次世代の蔵元の話によると、古くからこの酒を知る地元の愛好家の話ですと「昔はもっと個性的な甘口だった」とか。
今でも他には無い甘味・旨味を持っているお酒ですが、更に特徴を出し認知度を広めていきたいとのことです。
今後の躍進が期待出来るお酒です。

商品の購入・質問は弥右衛門(やうえもん)|合資会社大和川酒造店へお問い合わせ下さい。
TEL:0241-21-1500弥右衛門、大和川醸造元合資会社大和川酒造店
ここに書かれているデータは筆者が訪問した時点の情報でございます。

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寫楽(しゃらく)|宮泉銘醸株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 343蔵目

寫楽(しゃらく)|宮泉銘醸株式会社

福島県会津若松市東栄町8-7


蔵元のサイト:http://www.miyaizumi.co.jp/

酒名:寫楽(しゃらく)、宮泉(みやいずみ)、玄武(げんぶ) 
■創業:昭和29年(1954年)4代 ■杜氏:社員による製造 ■仕込み水:弱軟水 ■訪問日:2013/11/27

代表銘柄

寫楽 純米酒
寫楽 純米吟醸 ささめゆき
大吟醸 宮泉


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寫楽(しゃらく)  宮泉銘醸株式会社|看板
鶴ヶ城から最も近い酒蔵、宮泉銘醸株式会社は昭和29年に宮森啓治氏が創業した現在で4代続く酒蔵です。

創業者の宮森啓治氏は、かつて会津で一番の規模を誇る老舗蔵「花春」の家に生まれますが長男では無かったため分家として独立されました。

第二次大戦の企業整備令によって統廃合され使わなくなっていた酒蔵を買い取り、現在の場所で酒造業を始めたというのが創業の経緯です。

写真は蔵の敷地の中にあった案内板。
寫楽(しゃらく)  宮泉銘醸株式会社|武家屋敷跡

蔵が建つこの場所は、かつて白虎隊寄合二番隊長、一ノ瀬加寿馬邸があった場所で、蔵の周囲には鶴ヶ城の家老級の武家屋敷が立ち並んでいたとのこと。
写真には写っていませんが、会津戦争の時に実際に使われた銃弾が展示されていました。

また、別の場所にある案内には蔵の前の甲賀通りで会津戦争の降伏式が行われたと書かれていました。

寫楽(しゃらく)  宮泉銘醸株式会社|商品
蔵の創業銘柄は宮泉。
現在、地酒ファンから人気急上昇中の寫楽(しゃらく)は、廃業した東山酒造という酒蔵が持っていた商標を引き継ぐ形で、平成17年に宮泉銘醸で造りはじめた銘柄。
東山酒造も花春から分家した蔵で、商標を引き継ぐなら同じ家の出が良いという事で寫楽を引き継がれたとのことです。

かつての寫楽は看板のように東洲斎写楽が描かれていたラベルだったのを覚えています。
見た目にインパクトがあり、名前も覚えやすいので印象に残っているお酒です。

寫楽(しゃらく)  宮泉銘醸株式会社|写楽の外観
その寫楽がリニューアルしたのは4代目蔵元、宮森義弘さんが酒蔵を継がれてからです。

システムエンジニアをされていた義弘さんは、今から11年前の2003年に酒造業を継ぐために会社を辞め、酒造りの勉強のため福島県のハイテクセンターで3年間勉強をされました。

蔵に戻られた当時は製造石数は約200石で普通酒を中心に製造されていました。
南部杜氏から技術を学んだ社員杜氏が酒造りをされていたそうです。

新しい世代の人々、日本酒を飲まない世代の人々が、寫楽を口に含んだ時に「日本酒はとても美味しい物なんだ」と思って頂ける酒を造りたい。

そう考えた蔵元は、高品質な市販酒を造っていきたいと考えていたそうですが、普通酒を中心に造っていた製造の現場と意見が合わず、最初の頃は度々衝突が起きていたとのことです。

そんなこともあり、最初の頃は義弘さんによって製造された酒は「寫楽」として、昔から造りをされていた人達が造る酒は「宮泉」として販売されていた時期があったそうです。

その後、義弘さんの方針に付いてくる社員は残り、付いて行けない方は去り、現在では義弘さんが製造責任者となり、社員全員が力を合わせて酒造りをされています。
現在は宮泉も寫楽と同じクオリティーで造られているとのことです。

写真は釜場です。
寫楽(しゃらく)  宮泉銘醸株式会社|釜場
写真ではわかりにくいのですが、四角い甑(こしき)で米を蒸されていました。

蒸された米は袋ごとクレーンで吊り上げ放冷機に移されます。
寫楽(しゃらく)  宮泉銘醸株式会社|釜場
甑(こしき)から米を掘り出す作業は腰を痛める辛い作業です。
しかしクレーンで持ち上げると蔵人の身体への負担が少なく短時間に行えます。

今季は10月1日からスタートし、4月下旬に甑倒し。
ゴールデンウィークを過ぎた5月下旬頃に造りを終える予定で、約900石の日本酒を製造する計画を立てられています。
今年は早く終わる方で、昨年は6月末まで酒造りを続けられていたそうです。

寫楽(しゃらく)  宮泉銘醸株式会社|麹室

写真は酒母。
寫楽(しゃらく)  宮泉銘醸株式会社|酒母

仕込み部屋を上のフロアから撮影。
寫楽(しゃらく)  宮泉銘醸株式会社|仕込み部屋_上から

寫楽(しゃらく)  宮泉銘醸株式会社|仕込みタンク 米投入

写真は仕込み部屋を下から撮影。
寫楽(しゃらく)  宮泉銘醸株式会社|仕込み部屋

写真は槽場。
寫楽(しゃらく)  宮泉銘醸株式会社|槽場
槽は個室に置かれてあり、部屋を仕切っての温度調節が可能。

今は杜氏という肩書きを止めて、社長が製造責任者という形で製造されているとのことです。
蔵は会津杜氏会に入られていて、県外の南部杜氏の資格を持つ蔵人もいるそうですが、杜氏とは名乗らないそうです。

蔵が目指されている酒は上でも書きましたが、新しい世代の人々、日本酒を飲まない世代の方が、口に含んだ時に「日本酒はとても美味しい物なんだ」と思って頂ける酒。

福島県では昔から少し甘口の酒が多かったそうで、福島県の方が慣れ親しんできた甘味のある酒で更に洗練された酒。
甘味を残しつつも切れが良い酒。
ブラインドテイスティングした際に、常に上に食い込んでいけるようなレベルの高い酒を造っていきたいとのです。

最後に訪問の証の記念撮影。
寫楽(しゃらく)  宮泉銘醸株式会社|記念撮影
仕込み水の美味しさに驚く吾郎。

今、人気上昇中の寫楽ですが、確かに味は洗練されており、人気が上昇する理由がよく分かります。 蔵は外も中もとても綺麗で、大掛かりな設備投資が行われ、蔵元が帰って来た頃は普通酒の製造が中心だったそうですが、今はその面影を全く残しません。

それどころか、他の蔵の手本となるような吟醸蔵に完全リニューアルしているように見えました。

設備投資は蔵にとってとても勇気がいることだと思いますが、蔵元はよく決断されたと思います。

またこのような蔵の多くは一般の蔵見学は不可というところが多いのですが宮泉銘醸は一般の方の見学も可能です。
会津若松には他にも見学可能な蔵があり、美味しいお店も多く、鶴ヶ城という酒蔵以外の観光地もあります。
日本酒愛好家の蔵見学には絶対お勧めの酒蔵です。

商品の購入・質問は寫楽(しゃらく)|宮泉銘醸株式会社へお問い合わせ下さい。
TEL:0242-27-0031寫楽、宮泉、玄武醸造元宮泉銘醸株式会社
ここに書かれているデータは筆者が訪問した時点の情報でございます。

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末廣(すえひろ)|末廣酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 342蔵目

末廣(すえひろ)|末廣酒造株式会社

福島県会津若松市日新町12-38 


蔵元のサイト:http://www.sake-suehiro.jp/

酒名:末廣(すえひろ) 
■創業:寛永3年(1850年)7代 ■杜氏:社員杜氏(会津杜氏会) ■仕込み水:弱軟水 ■訪問日:2013/11/26

代表銘柄

末廣 伝承生もと 純米
末廣 大吟醸 剣
末廣 大吟醸 舞


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末廣(すえひろ) 末廣酒造株式会社|嘉永蔵

末廣酒造株式会社は江戸末期、寛永3年(1850年)に新城 猪之吉氏が創業した現在で7代続く酒蔵です。

会津藩の御用商人として酒造業などを営む商家に生まれた猪之吉氏は、長男ではなかったので家から独立。
今、蔵がある所から少しはなれた場所で酒造業を創業します。
そして約10年後には現在の場所に移転し、蔵を構え酒造りを行うようになったそうです。

創業当時の屋号は○の中にカタカナの「イ」と書いてマルイ。
「イ」は猪之吉氏のイです。

末廣(すえひろ) 末廣酒造株式会社|瓦

創業した18年後の1868年(慶応4年・明治元年)に会津戦争が始まり、蔵は見張りに一人〜二人蔵に残したまま疎開する事になります。しかし籠城戦となったため、お城には砲弾が打ち込まれますが、蔵があるあたりは無事で特に火災など起きず難を逃れたそうです。

ただ会津戦争の戦火から逃れたものの、明治39年に火災が発生。 現在喫茶店として営業している「新蔵」を残し蔵は消失します。 翌明治40年(1907年)に土蔵を建築し、その後約10年かけ継ぎ足すように建物を建て行き、現在の形になります。
焼け残った新蔵は、この蔵に残る一番古い建物になってしまうのですが、今でも「新蔵」と呼ばれているとの事。

現在の酒名「末廣」は「商いは末広く」の言葉からできた名前で、明治時代の商標登録が開始された時に、この辺りではもっとも早く取得されとのこと。
明治早々に商標登録をされたという事はそれ以前から使われていたかもしれません。
末廣(すえひろ) 末廣酒造株式会社|商品

末廣(すえひろ) 末廣酒造株式会社|商品

蔵は明治以降に大きく成長したようで、宮内庁御用達となり東京の新川にも事務所を構えます。
酒だけではなく漆器、秤なども扱っていたそうで、特に漆器はかなり手広くされていたそうです

土地を次々に買い足し、蔵から会津若松の駅まで自分の土地だったそうです。(ちなみにgoogle mapで調べたところ、蔵から駅までは1.4キロ有り徒歩で17分かかるとの事。)

この頃は蔵は商売だけではなく様々な方向で調子がよかったようで、この蔵から後に京都大学の総長にまで出世した新城 新蔵(しんじょう しんぞう)氏は末廣酒造の6男でした。

幼い頃から神童と呼ばれ松平容保公のお孫さんとはご学友との事。
容保のお孫さんとなると平民では無いわけですから、屋敷に先生を呼んで学問を学ばれていたはずです。
そこにご一緒出来るという身分を考えると、酒造業で成功した財力により信用が有り、なおかつ学力が優秀だったのでしょう。

また3代目蔵元の奥様は野口英世の恩師である小林栄先生の姉で、蔵は野口英世の面倒をみていたようです。
野口英世がこの蔵に来た事があり、その時の写真や書が蔵に残っています。

蔵のお座敷には会津藩主松平容保公や最後の将軍徳川慶喜の書が飾られており、そういう世界に通じるコネクションがあったようです。

末廣(すえひろ) 末廣酒造株式会社|売店
蔵には売店があり、試飲・購入が可能。
この直売所でしか売っていない酒もあるとの事。

蔵に併設されている高羽哲夫記念館。
末廣(すえひろ) 末廣酒造株式会社|資料館
山田洋司監督の映画「男はつらいよ」の撮影監督として全48作品の撮影に携わった会津出身の映画カメラマン、高羽 哲夫氏は現蔵元と親交があったそうで、遺品やポスター、撮影の様子を記した写真などが蔵に展示されています。

写真は嘉永蔵の仕込み部屋です。
末廣(すえひろ) 末廣酒造株式会社|仕込み部屋
酒造りですが末廣酒造では創業当時の場所にある嘉永蔵と、そこから西に約10キロ離れた場所にある平成8年に建てられた博士蔵の2箇所で酒造が行われています。

2月になると渇水期になり水が足りなくなる事から、酒つくりの拠点を博士蔵に移し嘉永蔵は酒造歴史館として残すことを考えます。

しかし嘉永蔵は酒造りを止めて2年が経過した頃から土蔵が痛み始めます。
昔ながらの木造建築物は、人が住まなくなり水の煮炊きが行われなくなると、どんどん錆びれるそうです。

蔵は酒造歴史館として100年先まで残したい願望がありました。 だったらここで少量でもいいので酒造りを再開しようと、2年酒造りを休んだ後に嘉永蔵でも酒造りを開始されたそうです。

末廣(すえひろ) 末廣酒造株式会社|仕込みタンク
この蔵で製造されている酒は原則、直売所で販売されている酒です。
この大きさのタンクを週に1本のペースで仕込み、年間約13本ほどのタンクを仕込んでいるそうです。
醸造スペースは一箇所集中型。釜場から仕込み部屋、槽場まで全て一部屋にあります。

末廣(すえひろ) 末廣酒造株式会社|小仕込み
写真は酒母タンクではなく仕込みタンクです。

「my酒」という名称で、個人の方からオーダーメイドで製造する酒。
仕込む酒は基本的に純米酒で、1升ビンで40本出来上がります。
価格は1升ビンでは3千円ちょっと。それが40本なのでトータルで15万円。
購入者は三段仕込みの1日間、仕込みを手伝う事が出来るとの事。 

末廣(すえひろ) 末廣酒造株式会社|槽
この槽(ふね)一台で酒を搾ります。

博士蔵に醸造施設を移転した際に、圧搾機はそちらに運んだため、嘉永蔵で醸造を再開する際には圧搾機は有りませんでした。
そこで他の酒蔵から使っていない槽を入手。少し小さな槽ですが、モロミが多い時は木の枠でかさ上げするなどし搾っているとの事。

造り手は40年以上も前から社員による製造。会津杜氏会に加盟されている佐藤 寿一さんという方が杜氏です。
仕込み水は水は弱軟水。
猪苗代湖の水が地下を浸透して、この辺りに湧いているのではないかと言われています。

原料米は地元産の五百万石とふくのはな、兵庫産の山田錦の3種類がメイン。

末廣酒造は明治に末期に、山廃仕込みを考案した嘉義 金一郎(かぎきんいちろう)先生が山廃仕込みを実証した全国の5箇所の蔵の1つです。
そういう経緯もあって山廃を軸にした商品展開に力をいれているとの事。

最後に訪問の証の記念撮影。
末廣(すえひろ) 末廣酒造株式会社|記念撮影
今後、蔵が力を入れていく伝承山廃純米酒に注目する吾郎。

末廣酒造株 嘉永蔵では蔵見学は基本大歓迎。
会津若松駅からも近く、日経プラス1の何でもランキングで「訪ねて楽しい日本酒の蔵元」の1位になるなど、訪問お勧め酒蔵です。
会津若松には他にも見学を受け入れてくれる蔵が多くあるので、若松に来られた際には訪問お薦めの酒蔵です。

商品の購入・質問は末廣(すえひろ)|末廣酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0242-27-0002末廣醸造元末廣酒造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。

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吉壽(きちじゅ)|吉崎酒造株式会社

新進気鋭 酒蔵訪問の旅 341蔵目

吉壽(きちじゅ)|吉崎酒造株式会社

千葉県君津市久留里市場102


蔵元のサイト:http://kichiju-gekka.com/

酒名:吉壽(きちじゅ) 
■創業:寛永元年(1624年)17代 ■仕込み水:弱硬水 ■訪問日:2013/11/22

代表銘柄

吉壽 純米吟醸 かずさ名水仕込み辛口
吉壽 純米吟醸無濾過しぼりたて


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吉壽(きちじゅ) 吉崎酒造株式会社|看板
吉壽(きちじゅ)という酒名の酒を造る吉崎酒造株式会社は江戸時代初期、寛永元年(1624年)に創業した現在で17代続く酒蔵。

1624年創業というのは千葉県の酒造業として稼働中の酒蔵の中で最も長い歴史をもつ蔵で、 千葉県下の全ての企業の中でも2番目に長い歴史を持つという長寿企業です。

吉壽(きちじゅ) 吉崎酒造株式会社|商品

吉壽(きちじゅ) 吉崎酒造株式会社|商品
主力銘柄は吉壽(きちじゅ) に、大吟醸、純米大吟醸に月華があります。

吉壽(きちじゅ) 吉崎酒造株式会社|賞状

訪問の証の記念撮影。
吉壽(きちじゅ) 吉崎酒造株式会社|記念撮影
純米酒 吉壽を手に取る吾郎。

今回私が訪問した日は、蔵は杜氏たちを迎えるにあたって蔵が忙しく店先だけの訪問とさせていただきました。

蔵のすぐ向かいには藤平酒造の販売店が有り、更に少し離れた場所には天乃原という酒を造る須藤本家という蔵があります。

いずれの蔵も見学となるとアポイントが必要ですが、売店でお酒を買うなら気軽に立ち寄れます。 お酒は宅配便で送ってもらえますので、久留里を散策された際には、酒蔵に寄ってお酒をおみやげにされるのが良いかもしれません。

商品の購入・質問は吉壽(きちじゅ)|吉崎酒造株式会社へお問い合せ下さい。
TEL:0439-27-2013吉壽醸造元吉崎酒造株式会社
ここで書かれているデーターは筆者が訪問した時点の情報となります。 千葉県君津市の酒蔵。吉壽(きちじゅ)という名の日本酒を造る吉崎酒造株式会社の訪問記。

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